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1300gと800gで産まれた一卵性双生児の子育て(No.1)


「可哀そうなんかじゃありません!!」

もう二度と会うことはないかもしれない、白髪の女性に向かって私は人目も憚らず声を荒げた。

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大学病院の駐車場につき、私は運転席のドアを開けた。
もう12月だから当然ではあるが、いやに寒い。

ー風邪をひかせてはならない。

子どもたちを双子用のベビーカーに乗せた後、持ってきた厚手のおくるみを何重にも重ね、足が少しでも出ないように必死に足元を隠す。

まだ小さな体をおくるみでくるむと少し大きく見える。なんだかそれが私を安心させていた。

今から3年半前。

当時、双子が生後5か月。私は闘っている最中だった。



お腹の中にいたとき、妹はへその緒のついている位置が悪かった。栄養をうまく受け取れないため、週数を重ねても重ねても体重が増えるのは姉の方ばかり。

祈るような気持ちで毎回エコーを見届けなければならないお母さんたちも多くいる、と思うが

私もその一人だった。

心臓が動いていますように。
少しでも体重が増えていますように。

毎回毎回、胃が痛かった。


結果、姉は1300g、妹は800gという大きな差をもって生まれてきた。

二卵性ならよくある話だという。だけど、一卵性となると話は別である。
我が子たちはおおよそ一卵性の双子には見えないサイズの違いであった。

双子というのは声をかけてもらう確率がかなり高い。
(あのやたら大きいベビーカーを押していた時代は特にそうだった。)

だけど「双子ちゃん?可愛いね」と覗き込んでくれる人たちに笑顔で「ありがとうございます」と答えながら私は常に怯えていた。

「この人はどんな反応をするだろうか」
思わずにはいられなかった。


「二卵性?」と聞かれて「いえ、一卵性です」と答えたら大抵の人は口ごもった。(ように見えていた)

そこですかさず二人の出生について、何度も練習したセリフのように私はぺらぺらと流暢に答える。

相手が答えに困ったと思えば、「でも元気に育ってますから」と私は答える。

そう、私は自分にも何度も言い聞かせていた。


実際ほんとだった。

ここに来るまで、何度も「うまく育つか分からない」「生まれてみないとどうなるかは分からない」と言われ続けてきた。

胎児発育不全、一卵性双生児特有の病気である「双胎間輸血症候群」のギリギリのラインを常にいき。

そんな危機的状況に長いこと晒されながらも、体内で双子はマイペースに育ち、医療の力を全面的に借り、生を受けることができた。

産まれた後にも様々な試練が待っていた。

姉は2ヶ月、妹は4ヶ月のNICUへの入院。

妹は胆道閉鎖症をはじめ、数々の希少難病を疑われ、開腹を伴う手術での検査を行ったりもした。(その時の影響で彼女には腹部に大きな手術の痕跡が残っているし、手術で胆のうは摘出した)

それでも生きてくれた。
奇跡だと思った。

これ以上に望むものはもうないだろう。


・・・
そう感じているはずなのに、処理しきれない自分の感情に正直参っていた。

初めて出会う感情が多すぎた。



2ヶ月前に退院してきたばかりの双子の妹は顔色がドス黒かった。

結局、彼女は原因不明の胆汁うっ滞だった。胆汁うっ滞になると黄疸が出る。

黄疸と聞くと黄色い肌色を想像していたが、彼女はそれを何倍も上回るように黒かった。

「退院後も3時間ごとに特殊ミルクを飲ませてください。でないと、低血糖を起こして命に関わります。」

退院時に病院から言われた言葉である。退院がやたら恐ろしいものに思えた。

初めて味わった常に命の危機がついて回る感覚。

夫と交代で、時に実母に協力してもらいながらこの2ヶ月、3時間の過酷とも言えるルーチンをこなしてきた。

寝不足で頭は回らなかった。

1歳10ヶ月しか離れていない上の子の対応にも追われていたと思うが、どうやってあの頃を過ごしていたか私にはこの辺りの当時の記憶というものはかなり断片的で、スコンと抜け落ちていると言ってもいい。


夜中、時計の針だけが音を立てる部屋で1人ミルクを作り、娘に飲ませる。

この時間が私は恐ろしかった。
飲んでくれなくては命が脅かされる。
そう思うと苦しい。

娘の可愛い顔を見るたびに胸がつきんと痛むのである。
痛む必要なんかないのに、私の意思に反して痛むのである。


「お前のせいだ」

誰かがそう言っている気がする。

生まれてくるどす黒い感情。


何度も何度もぐるぐる考えて

「…そんなこと今、考えたって仕方ないじゃない。」
ようやくいつも通りの答えを私は導き出して
前を向く。

ハア…と深いため息をつくと、真っ白な息で視界が曇った。

「さあ、先生のとこ行こうね」

まだ物言わぬ子どもたちに笑いかけながら私はベビーカーを押し始めた。

風が本当に冷たい。

私は足早に院内へ急いだ。


******

院内につくと暖房の影響で思ったよりも室温が高かった。
私は双子たちのおくるみを今度は慌てて脱がせた。


ちょこんと飛び出た頼りない足が目に入る。

小さいな

心の声が呟く。


ついつい上の子の5カ月ごろと比較してしまうのである。
勿論、そんなことに何の意味はない。

その時だった。ある女性が話しかけてきた。
白髪の60代後半と思わしき女性。

双子の姿をまじまじと覗き込んで込んできた後、突然
「可哀そうにね」とつぶやいた。

一番言われたくない言葉であった。

そんなに大した言葉ではない。
そう思っているのに
頭には血が昇り、一瞬で鼓動が早くなるのを感じた。

私の無意識はとてつもない速さで反応していた。

思わずかみついた。

「可哀そうなんかじゃありません!!」

語気がかなり強めになり、
周辺にいた人たちからの視線を感じた。


ーやってしまった。

女性はとても不満げな表情でその場から立ち去り

私はぽつんとその場に残された。


誰が味方で、誰が敵か。



思考はまたぐるぐる回り始める。

認めたくない。
可哀そうなんかじゃない。

何度も何度も自分にそう言い聞かせていた。

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