「もう若くないから」と言って後悔した日
先日、打ち合わせ中に会話の流れで年齢を聞かれて、わたしはこんな言葉を口にした。
「もう若くないんで…」
ノリで言ったことをすごく後悔しているので、その話をしたい。
年齢を呪いにしてはいけない
わたしが後悔したのは、呪いの再生産をしてしまったのではないか、と思ったからだ。
年齢をネガティブな意味で使ってしまうと、自分では自虐ネタにおさめたつもりでも、「年をとること=ネガティブ」という観念を固定化してしまうことにつながる。
たとえ雑談のなかで言ったとしても、だ。固定観念をわざわざ広めていることと同じなのだ。
年齢をネガティブな文脈で使う誰かがいて、言葉として吐き出されると、その年齢にこれからなっていく人は「ああ、自分もこれくらいの年齢になったら若くないって思うのかな」と感じてしまう。
わたしは自分が年齢の呪いにかかっていることに気づかず、無邪気にその呪いの種を蒔いてしまったのだ。
言うべきじゃなかった発言を取り消すことはできないが、呪いの連鎖を断ち切る決意をここに書いておきたい。
年齢制限があふれる社会
25歳以下や35歳以下など、暗黙のうちに年齢が条件になることはある。
おもに就職や転職などの分野だ。表向きには年齢不問ではあるが、なんとなく「若い=可能性が広いことで、年をとる=可能性が狭くなること」だというイメージが作られているような気がする。
これも一つの呪いのように作用しているのではないか。
若さは価値だとみんなが思っている。確かにそうかもしれない。若さのいいところは、ほとんどの人が持てる平等な価値に見えるところだ。
でも、若さを大きな価値だと見なすなら、わたしたちは年齢でジャッジされる世界を受け入れなくてはならない。いずれ必ず失ってしまう期限付きの価値と、つねに向き合わなくてはいけない。
だが、人はかならず年をとる。永遠に10代や20代でいられる人はいない。
わたしは、眞木準という偉大なコピーライターが書いたコピーを思い出した。
40才は二度目のハタチ。
1992年、伊勢丹の新聞広告に載ったコピーだ。この発見でいくと、60才は三度目のハタチ、80才は四度目のハタチということになる。
80才になって「四度目のハタチが来たな」と思えたら、けっこう気分がいいかもしれない。コピーライターの大先輩もまた、固定観念を壊そうとしていたのだろう。
「若さレース」を降りる
そして、わたしは決めた。若さレースから降りることを。
若いからいいね、若さっていいね、若いって素晴らしい、もう若くないから、まだ若いよ、そういう若さ言葉があふれる競技場から出ていこう。競技場が盛り上がっているのを横目に、すたすた歩いていくのだ。
若くても若くなくてもどっちでもよくて、年齢がどうあれ今の自分に満足して生きていける世界に、これからなっていくといいなと思う。
2000年代のはじめの頃、作家の村上龍は「今の社会に生まれてくることがいいことかどうかは決められないから誕生に際しておめでとうは言えない。だが、一年生き延びたことは祝うべきことだから誕生日おめでとうは言える」みたいなことを書いていた。
村上龍らしい言い方だ。
わたしは生まれて、今日まで生き延びてきた。それだけでおめでとう、である。あなたも、今日まで生き延びてきたはずだ。おめでとう。生きている自分をほめて、明日からも生きていこう。
コピーライターとして、わたしはまだまだだ。だから、年齢はもちろん、あらゆる呪いを断ち切るために自分が使う言葉についてしっかり向き合っていきたいと思う。
文:シノ
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