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いのち短し恋せよ乙女

生まれてはじめて失恋をした。失愛をした。

……正確に言えば、別れたというより離れた。
だってそもそも付き合ってないから。恋人じゃなかったから。


大学の同期で、途中で後輩になったひとつ歳上の賢い男。煙草と酒と読書を愛し、研究熱心で聡い男。そんな印象だったのが昨年の7月以降ガラッと変わった。厳密には印象が加わった。誠実かつ変態で、根っからのサディストで、手が綺麗な男。
恋人関係になることで生じる責任や義務感に耐えられないから、という理由で私たちは"恋人"同士にはならず、特に仲のいい友人という枠に収まった。他人から見ればセックスフレンド以外のなにものでもなかっただろうけれど、少なくとも私はセフレだとは思いたくなかった。こんなに愛されていて、こんなに愛していて、だからこそ恋人になっていろんなことが義務的になってしまうのが怖かった。恋人という関係性から逃げたけれど、そばにいるだけで幸せだと思っていたかった。


蜜月の日々は一年と続かなかった。
今年の春に彼からの連絡が途絶えた。大学院入学を控えた彼は研究に専念するために"人間関係リセット"を実行し、あらゆる知人との連絡をことごとく絶ったのだ。それは彼の勝手ではなく、研究と友人関係を両立できるほど器用じゃないから、友人を等閑にするくらいなら関係を終わらせよう、という誠実さからくる行動だった。
リセットの件は事前に知っていたけれど、それなりにショックだった。けれどもこの先一生会わないわけではないし、いつかふらっと帰ってくるのをゆったり構えていようと思っていた。


しかし、春が過ぎ、夏が始まった6月の終わり頃に彼から一通の便りが届いた。『最期のお便り』と題されたそれはひどく私を傷付けるような内容だった。最期だからあえて嫌われるよう憎まれるように書いたのだ、と弁明されていた。一時的な感情の乱れから憎むことがあっても、嫌いになることなど、好きじゃなくなることなど絶対にないのに。私の気持ちを勝手に決めつけられたようで無性に苛ついた。その怒りの勢いに任せて私からも『最期のお便り』を返し、関係を終わらせたつもりだった。
その後に彼から何度か電話があり、結局一週間ほどだらだらと"最期"を続けてしまった。彼から『最期のお便り』が届いた時点で私の中ではもうすっかり精算したはずだったのに、彼の声を聴いてしまったらどうにもだめで、まだこんなことになってもまだ彼のことが好きなのだとまざまざと理解させられた。
電話の中で彼に「もう私のこと好きじゃない?」と訊ねると、彼は真剣な声色で「うん、好きじゃない」と答えた。それがすべてだと思った。
そしてほんとうは今日、大学近くの喫茶店で最期に会う予定があった。けれども私はその誘いをお断りした。会ってしまったら折角精算した気持ちが揺らいでしまうという不安もあったし、それにもう彼は私のことが好きではないのに、そんなひとに会いに行くためだけにお洒落していくのがなんだか馬鹿馬鹿しくなったのだ。約束のあった時間にはやっぱりそわそわしてしまったけれど、彼が最期のメッセージで放った「まあ、いいや。面倒になってきたし」ということばを噛み締めながら時が過ぎるのをただ待った。
またひとつ、強くなってしまった。


こんな風に書くと彼のことをめちゃくちゃ恨んでいるように思われるかもしれないけれど、そんなことはない。彼と過ごした昨年の夏は23年間生きてきたなかでいちばん幸福な時間だったのは確かだし、ほんとうに彼のことが大好きだった。
生まれて初めての失恋。かなり辛い。心臓が裂けそう。でも泣くだけ泣いたら不思議と笑いが込み上げてきて、ちゃんとしあわせだったんだと思えた。確かに別れは辛いけれど、それ以上に楽しかった思い出が数え切れないほどにあって、それはずっと胸の奥で私を支え続けてくれるだろうと思う。
他人を愛することができないと思っていた私に「君はもっと他人から愛されるべきひとだし、ちゃんと他人を愛することができるひとだ」と教えてくれたこと、一生忘れない。

彼に教えた曲と彼から教わった曲を聴いて泣き、SNSに海に未練がましい呟きを放り、泣き疲れて眠る夜を幾夜も乗り越え、ようやくベタでドラマチックな感傷に浸る時期を抜けた。
もう大丈夫、私は生きていける。
次の恋に前向きに進んでいける。
ちらちらと後ろを振り返ることはもうしない。
終わったこととして胸の奥の奥に仕舞おう。

私は生きるのに忙しい。
愛に休んでいる暇など、ない。

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