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ねぇ、さとちゃん。

子が親を哀れむなんてどうかしている。
自分が親になるときは、子どもに哀れまれない親になりたい。

母は祖母のことを「かわいそうな人」と呼ぶ。
面と向かっては「お母さん」と呼ぶけれど、他人と話しているときの祖母の呼び名は決まって「あの人」、もしくは「かわいそうな人」だ。昔からそう。少なくとも、私が物心ついた頃にはそう呼んでいたと思う。母の口から聞かされる祖母の昔話はあまり明るいものではなくて、いつも居心地の悪さを覚えるような話ばかりだった。どうして母はそんな話を私に聞かせるのだろうと不思議だった。たぶん、母は祖母を「かわいそうな人」と位置付けることで、自分が祖母から受けた仕打ちを仕方のないことだったと片付けたかったのだと思う。あの人はかわいそうな人だからね、と締め括られる話を聞きながら、私は同情という言葉を自分の中の辞書にインプットした。

*****

祖母の名前は里美という。
里美は絹織物の産地として有名な地に三人兄妹の中間子として生まれ、両親が一代で築いた酒屋で兄と妹とともに育った。東京出身の父親は気前の良い商人気質の人で、関東の地方出身の母親は四人姉妹の末子として大切に育てられた良家のお嬢様だった。姉たち同様地元の女学校を出ていた母親は、自分の出自に矜持を持っていたのだろう。里美も妹も母親や伯母たちと同じ女学校を受験させられた。卒業後、妹は地元で就職し、里美は銀座の呉服店に就職した。兄は地元の高校を出て地方銀行に就職した。

里美は東京での生活をこころから楽しんでいた。銀座に本店を構える呉服店に勤め、仕事終わりに友人と銀ブラをするのが日課だった。とあるバーで美輪明宏に会ったときはあまりの美しさに言葉を失ったという。「こんなに美しい人がこの世にいるのかと思ったわ」と、当時を振り返った祖母(里美)が恍惚とした表情で語っていたのを覚えている。ちなみに、里美が銀座で働いていた当時、祖父(名前を仁介という)も銀座によく来ていたのだという。活版印刷所で働いていた仁介は、刷り上がった原稿を出版社や広告会社に届ける際、「ついでに銀座の菓子を買ってこい」とお使いに出されることが度々あった。里美と出会ったのは銀座ではないが、もしかしたら松屋前の交差点ですれ違っていたかもしれない。――むしろ、そこで二人が出会ってさえいれば、里美は自分の娘に「かわいそうな人」などと呼ばれることはなかったかもしれない。

ある日、里美は実家に呼び戻された。リウマチの酷くなった母に代って、二代目として家業である酒屋を継がされることになったためだ。当然、里美は猛反発した。
「折角上京して目標だった呉服店で働けているのに働けているのに、どうして私が家を継がなくてはならないの!」
両親の代ではじめた店なら一代で終わらせることもできたはずだ。そうしなかったのは両親のエゴと、それ以上にお客達からの要望故だった。戦後の混乱期でも店を続けられたのはひとえにお客様がいたから。そんなお客様の声を無視して店を畳むなんてできないと、両親は里美に訴えた。兄は地方銀行で出世街道を順調に歩んでおり、妹は早々に嫁いで家庭に入っている。
「頼めるのは里美、お前しかいないんだ。でも一人では大変だろうから見合い相手も用意する。ゆくゆくは結婚して夫婦二人で店をもっと盛り上げてくれ」
もう、里美に逃げ場はなかった。憧れだった呉服店を辞め、両親の用意した見合い相手と結婚して店を継ぐ以外の選択肢はなかった。そして数奇なことに、里美と同時期に銀座で働いていたが訳あって仕事を辞め地元に帰ってきていた仁介に、見合い相手として白羽の矢が立ったのだった。

里美は仁介と結婚し、三人の子どもに恵まれた。慣れない仕事に苦戦しながらも経営は順調で、仕事に子育て、そして両親の介護と、日常はてんてこ舞いだった。子どもたちの成長や老人の介護に翻弄され、帳簿と算盤と睨めっこをする里美に、文化も建築もなにもかもが発展途上にあり、日々が目まぐるしく過ぎ去っていった輝かしい銀座時代を懐かしむ余裕はなかった。

*****

「あの人は本当は銀座にいたかったんだよ。お着物好きだし、憧れていた呉服店に勤めていたんだもん、辞めたくなかったに決まってる。お店なんて正直継ぎたくなかったと思うよ。だから私らにも店継いでくれなんて一言も言わないんだ、親の都合で将来を潰される子どもの気持ちを誰よりも分かっているから。本当、かわいそうな人」

私は祖父母の店が好きだ。
子どもの頃、祖父母に預けられていた時期があった。朝9時に店のシャッターを開けると、陳列された酒瓶の表面が陽の光を浴びてきらきらと輝く。八海山やら獺祭やら、子どもの私には記号のようにしか見えなかったラベルの字も、心なしか生き生きと躍っているように見えた。店の前に置かれたベンチに座って看板娘をやることもあった。お酒好きな個人のお客さんや飲み屋のご主人、バーのママさん、いつもじゃんけんで勝たせてくれる豆腐屋のおっちゃん。店には普段私が関わり合わないような大人ががたくさん来ていた。
なかでも特に、祖父の同級生である平塚のおじちゃんのことが大好きだった。仕事中の事故で小指をなくした平塚さんは、強面も相まっておよそ堅気には見えなかった。運転中に道に迷い、通りがかりの人に聞こうと窓を開けて手を出し「あの~」と声を掛けた瞬間、悲鳴を上げて一目散に逃げられたという逸話を持っていた。そんな平塚さんはもちろん堅気だったし、とびきりやさしいおじちゃんだった。「あれまぁ、ちょっと見ないうちにまたべっぴんさんになっちゃって~」と言いながら、大きくて分厚い、少しかさかさした手で頭を撫でてくれるのが嬉しかった。当時は恥ずかしくてすぐ暖簾の奥に引っ込んでしまっていたけれど、本当はちゃんと大好きであることを伝えたかった。平塚のおじちゃん、天国で見ててくれていますか?私、ちょっと見ないうちにまたべっぴん度合いに磨きがかかったでしょう。いずれそちらにお邪魔するときは、またあの頃みたいに頭を撫でてくれると嬉しいな。
大好きです。

店にはいろんな思いが詰まっている。思いだけじゃない、空気、匂い、手触り、そういうものが凝縮されて今の店がある。そこにはきっと私の存在も一緒に詰め込まれているのだろう。あの店で過ごした時間は短かったけれど、幼少期における数少ないあたたかい時間のひとつとして、私を守ってくれている。開店休業状態になった今でも、真向かいのお家が始めたカフェが仕入れに来てくれるし、開店当初からのお得意さんである飲み屋さんも注文を入れてくれる。
そんな店の真ん中に、ぽつんと里美の姿が見えるときがある。かわいそうな里美。さみしそうな里美。悔しそうな里美。幼くなったり大人になったり、いろいろ姿を変えながらずっとお店に縛られている。ねぇ、さとちゃん。
「さとちゃんはさ、本当は、お店がきらいなのかな」
そう尋ねてみたい気持ちをぐっと堪えて、里美のビー玉のような瞳を見つめる。

さとちゃんがいつか心から笑える日が来ることを、祈っている。



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