鏡の国のわたし
「らしさ」って何だろう。
『もっと可愛い柄にしなさいよ、女の子なんだから。』
と言ってファンシーな文房具を勧めてきた母。
『本当はもっとフリフリの可愛いお洋服を着せたかったんだけどねぇ。あんたはそういうの似合わなかったから、残念だわ。』
と言って諦めたように笑った母。
母は私に女の子らしい可愛らしさを求めたけれど、どうやら娘にはそういう系統の洋服やグッズが似合わないと分かった途端、それを私自身のせいにするかのように笑った。残念だと嘆いた。
◆苦手なもの
私は身体のラインが強調されるような服装が苦手だ。自分が着るのはもちろん嫌なので、できるだけ避ける。
かといって、身長も低いので、あまり大きめのトップスを選んでしまうと不格好になってしまうから難しい。
身体のラインを強調する服装が似合う人もたくさんいるし、似合っていて素敵だなぁとも思う。
けれども、性別特有の魅力を表現する方法の一種として身体のラインを強調する、というファッションの概念がそもそも苦手なのだ。
たとえば、「女らしさ」を表現するために
身体の美しさを最大限に魅せるための服装だ。
確かに、綺麗だ。より綺麗に、魅力的に見える。でも、嫌だ。
なんか、もう、「うわぁ…。」ってなる(語彙力が行方不明)。
The・女感が全面的に出ているから苦手なのかもしれない。
女として生まれたからにはどうしても自分にも当てはまる、「女らしい」身体が可視化できてしまうことに抵抗がある。
◆怖いもの
私は幼い頃から、妊婦さんを見るのが怖かった。今でも怖い。
それは、妊婦さん自身とその身体のなかに宿る小さな生命の儚さを思って、「もしかしたら消えてしまうかもしれない」と慎重になってしまう気持ちもある。
妊婦さんが電車やバス、エレベーターなどの狭くて身動きの取りづらい空間にいるのを見ると、見ている私の方が「大丈夫かな、大丈夫かな」とひやひやして気が気でない。動悸がすることもある。
それと同時に、妊娠=女性・性行為という性を意識してしまうこと、いつかは結婚して妊娠して子どもを育てることを期待されている私自身のことを否が応でも考えてしまうことが、とてつもなく苦しい。
女としての幸せは結婚して子どもを産み育てることだけではないはずなのに。
『恋愛苦手とか勿体ない!』
『絶対良い人いるって!』
『キスもしたことないとかやばくない…?』
こんな言葉をよく言われる。善意なのは分かる。悪気がないのも知っている。
でも、正直、うるせぇって思う。
上の言葉のように、悪意の有無に関わらず一応応援してくれる言葉や、半笑いで私を否定してくる言葉ならまだいいけれど、
『今まで経験無いの?純情なんだね~!』
『その純粋さを売りにしなよ!』
『部屋に二人きりだったのに何もなかったの!?相手に我慢させてんじゃない?相手が可哀想〜』
と、恋愛経験が少ないこと、性交経験がないことを「純情・純粋」と神話的に捉えられること、経験値不足だと言われること、相手が可哀想だと言われること、それらの価値観の前提が腑に落ちない。息が苦しくなる。
どちらのタイプの言葉であっても、まぁ、胸が痛いし頭も痛い。
内心「うるせぇ、ほっとけよ!」という気持ちなのだが、そんな風に反発できる程メンタル強化できていないし、私の反発を認めてくれる程世界もできあがっていない。ただ笑って「そうだね…」と返すしかないのだ。
マジョリティ側の信じる一般的感覚が怖い。
その感覚と私たちマイノリティ側との差の残酷さたるや。
◆「らしさ」とは、私でいること
ここで私自身のことについて整理すると以下のようになる。
こんな感じ。
これらのボーダーラインはその時々によって、また相手によって変わるから絶対とは言えないけれど、大体はこんな感じである。
まさに「生きてりゃもう御の字」状態。わーい!
(今日は躁の時期に突入したのでポジティブにいきます)
いろいろ語ってきたけれど、要は「私は私でいたい。」それだけ。
この先なにが起こるか分からないし、世間の価値観がどう変化するかなんて分からない。無理に世間に合わせる必要もないし、理解してもらおうとも思わない。
ただ、在る、ということを知っていて欲しい。
ここまでたくさん綴ってきて、「我が儘かな、大丈夫かな」なんて心配になってきた。
なんだか生きづらいね、世の中って。
頑張りましょうね。私も頑張ります。
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