そうなんだ、で終わらない世界で私は生きたい
「あたし、左耳が聴こえないんだ。」
そう大学の友人に伝えたのは、昨年の金木犀が香る昼下がりだった。
7号館に併設されたテラス席に向かい合って座った私たちは、周りの学生たちの喧噪から隔絶された、水の中にいるような静寂の中に佇んでいた。
友人は私の言葉を聞いて一言、『そうなんだ』と言った。
今まで私が聴覚障害があることを伝えてきた人たちは皆、『そうなんだ、でも、そういうの気にしないし』と何に気を遣ったのかよく分からない返答をした。私は確かに、耳が片方聴こえないという事実を知って欲しかったのだけれど、例えば普段の会話の中で気を付けて欲しいことや、決して無視している訳ではなくて単に聴こえないこともあるのだ、という一歩踏み込んだ配慮を期待している部分もあった。
これは私がしっかり言語化して伝えなければ、当事者でなければ分からない配慮なのだけれど、どうにも、おこがましくて申し訳ないのだが、どうかもう少しだけ近づいてきて欲しかった。
せめて、もといた場所から後ずさりしないで欲しかった。
『気にしない』という言葉は、私と彼らの間に透明で頑丈な壁を築く。
それは次第に分厚くなって、触れると電気が走るようになる。障害に関する話題は触れてはいけない、タブーな話題へとすり替わってしまうのだ。
すると、私の周りには私を取り囲むように空洞ができるようになった。それは疑心暗鬼になった私が作り上げた虚構だったのかもしれないし、実際に穴が空いていたのかもしれない。どちらにせよ、私の事情を知った人は皆よそよそしくなった。
私の周りだけ気温が急激に下がったようだった。
しかし、目の前にいる友人は違った。
『そうなんだ、じゃあ、何に気を付ければいいかな。』
私はしばらくぽかんとしてしまい、名前を呼ばれてはっと我に返った。
「えっと、例えばあなたがちょっと離れた場所からあたしの名前を呼んでくれたとするじゃない?そうすると、あたしはただ聴こえなかったから反応しないだけなんだけど、あなたからしたら無視されたように感じるかもしれない。ごめん」
『うん』
「あと、あたしを呼ぶ声に気付いたとしても、声がどの方向から飛んできているのかが分からないの。音の方向が分からない。だからきょろきょろしちゃうかもしれない」
『じゃあ、近くまで行って声をかけるか、近付けない場合は腕を大きく振るとか遠くからでも分かるジェスチャーをした方が良いかな』
「うん、そうしてもらえると助かる。ありがとう」
友人の前には壁なんてなくて、私に歩み寄って、さらに手まで握ってくれた。
足もとを冷たい風が通り抜ける季節、私の心は春の陽だまりのようにあたたかくなったのを今でも鮮明に覚えている。自分の心臓の場所と血管の流れをこれ程までにはっきりと感じたのは初めてだった。
***
『困っている人を見ても、なんて声をかけたらいいのか分からない。』
『無視されたり、逆ギレされたりしそうで怖い。』
『そもそも、そんな人自分の周りにいないから大丈夫。』
そんな寂しいことを言わないで。
私たちはここにいる。
たとえあなたの今いる場所からは見えなくても、少し丘を登れば地平線の彼方が見えるように、私たちはいつも変わらずここにいる。
知らぬ間に加害者になっているかもしれない恐怖を抱えて生きるのは辛いから、あえて無闇に関わらないようにする。偏見や差別のないフラットな自分を演じることで、これ以上そういう人と関わることを避ける。
きっとそうしてきたのでしょう。
人間、誰しもきっと他人の力に支えられて生きているのだけれど、それでも「ひとりで生きている」ように振る舞いたい気分の時もある。これは大人も子供も関係ない。私だってそうだ。私は強いんだぞ、こんなにぼろぼろでも毎日酸素吸って二酸化炭素吐いて生きてんだぞ、買い物して小さく経済回してんだぞ、消費者様だぞ、って思いたい。
反吐が出るほど死にたいときもある。ちょっとおセンチになっちゃったりなんかして、柄にもなく人肌恋しくなる。そういう弱ったときの自分の感覚は忘れちゃいけない。
私は私の中にある「本当はちょっと寂しい」気持ちをわたあめみたいに無条件にやさしいヴェールで包んで、脆い仮面の奥底に眠らせている。
たとえ今自分の隣に人がいなくても、電車に乗るときは車掌さんや通勤通学者が、買い物をするときはお客さんや店員さんが、音楽を聴くときはアーティスト様やファンたちが、言葉を紡ぐときは読者様が、引き籠もっていたってお腹はすくからご飯は食べる、そうすると生産者さんやスーパーの人たちが、……
ほら。誰かがあなたのちょっと後ろや斜め前あたりにいると思う。
それは他人とか知人とか関係ない。誰かがいればいい。
そう、”誰か”はいるのだ、すぐそこに。
私は友人に『そうなんだ、じゃあ…』と言ってもらえたことで、やさしさを知ることができた。大仰なものではなく、本当に些細な、たった一言で目の前が少し明るくなることもあるのだと知った。私が左耳からの音を聴けないのと同じように、あなたは右手からのやさしさを取りこぼしてしまうかもしれない。気付かぬうちに失っているものって結構ある。
もう失ってしまったものを過去に戻って取り戻すことはできないけれど、指の隙間からこぼれ落ちるものを見過ごさないようにしたい。
虚空を握りしめて、それでも満足げに笑みを浮かべて涙をこぼすなんて、そんな虚しいことはもうしたくない。
私は苦しいときに苦しいと言えなかった。今でもちゃんと言えない。
あとで絶対もっと苦しくなるのを分かっていても、口角を上げる癖が抜けない。
それでも私は本当は、悲しいときには泣きたいし、嬉しいときには笑いたいし、むかつくときには怒りたい。
そうなんだ、で終わらせても世界は相変わらず続いていくけれど、どうせ続くならそうなんだ、で終わらない世界で生きていきたい。
***
来週また友人に会う。前に行こうって約束してた駅前の喫茶店、行こうね。
私はとりあえずその約束の日のために、生きる。
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