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『完璧』に首を絞められる

私は趣味を作るのが苦手だ。
なぜなら、すぐに完璧さを求めてしまうから。

そもそも、趣味を「作る」と言っている時点で駄目なのかもしれない。
でも、自分が何に興味を持っているのか、何に惹かれているのか、何に楽しみや喜びや充実感を求めているのか、分からないのだ。

「何らかの趣味に没頭する自分」を意図的に作り出さないと、"私"が消え失せてしまう気がする。


***


私は幼い頃から絵を描くのが好きだった。何か賞に応募したり、収入を得るために描いたりしているわけではないから、絵を描くという行為自体に責任を感じていなかった。
普通に、純粋に、絵を描くことを楽しんでいた。

小学二年生の図工の時間に、読書感想画を描く機会があった。
さまざまな動物が歯医者さんで治療を受けている(記憶が曖昧)というような内容の絵本を読んで、自分の印象に残ったシーンを絵で表現せよ、というのが目的だった。

私はクジラが来院するシーンが好きだったので、大口をあけたクジラを画用紙いっぱいに描いた。授業中、先生にも「依ちゃんは上手ね」と褒められ、友達にも「上手!」と言われて嬉しかった。
私は絵を描くことに自信を持った。

小学四年生の夏休みに、緑化ポスターを描いた。
その頃の私は『ちゃお』や『なかよし』などの少女漫画雑誌をお小遣いで買っていて、お目々キラキラの少女漫画タッチのキャラクターに憧れていた。
漫画を参考にして見よう見まねで練習を重ね、可愛い女の子が描けるようになっていた。
そして緑化ポスターにもその力を応用し、真ん中に両手で芽を持った少女を描いた。自分でも上手く描けたと思った。
すると、そのポスターが県内の緑化ポスターコンクールで金賞を受賞した。
私は驚きとともに、素直に嬉しく思った。先生にも、友達にも、両親にも褒められて、とても気分が良かった。

私は絵が上手なんだ。みんなに褒めてもらえるくらい、上手なんだ!

そう思ったら、なぜか筆を握る手が重くなった。
なぜだろう?絵に自信があるはずなのに、なんだか上手くいかない。
上手く描こうとすればするほど、自分の思い通りにいかない。

私は「上手な絵を描かなければ認めてもらえない」と思った。
上手な絵を描かないと「なんだ、賞をもらったのも運が良かっただけか」と思われてしまう。そんなのは嫌だった。それでも上手く描けない。

私は「絵を描くこと」を義務化してしまった。
そして私は上手な絵を描くことに対して、勝手に責任を負うようになった。


***


次第に、私は本来娯楽として楽しんでいたことを義務化してしまう癖がついてしまった。義務化することで責任が生まれ(勝手に責任を感じているだけなのだが)、完璧にこなさなくては、という思考回路に至る。

結果的に、何事にも「完璧」を求めてしまい、自分の心を癒やすはずの娯楽を心から楽しむことができなくなった。

絵を描くことだけではない。ピアノも、ベースも、小説執筆も、今までいろいろなものを試してみたけれど、どれも楽しいのは最初のうちだけで、そのうち「ここはもっとこうしなければ」「ここを直さなければ」「もっとちゃんとやらなければ」と思い始めて嫌になる。その繰り返しだ。
だからnoteもそのうち嫌になってしまうかもしれない……昨日始めたばかりなのに……気負わずに適度に頑張る方法、知りませんか?

だから私は、冒頭でも述べたように「趣味を作ることが苦手」なのだ。
そもそも何に興味があるのかすらよくわからない状態で、とりあえず時間つぶしにと始めた趣味もどきに躍起になり、他人や手本と比べて自己嫌悪に陥り(初心者なのだから上手くいかないのは当然)、完璧を追い求め、脱落し、なんで自分はこんなに不器用なのだろう、何もできない私なんて無価値だ………となる。
無限ループ。出口は見えない。微かな光すら見えない。

自分が作り上げた「完璧」に首を絞められて、
今日も私は息ができない。

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