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実用世界史1:世界で初めて人種差別を撤廃しようとした民族

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上の画像を見る通り、これは1945年の世界地図であるが世界のほとんどの地域が英国、フランス、ソビエト、アメリカの植民地になっている。

白人は1400年代から植民地から奴隷を使い、搾取や略奪を横行し破壊の限りを尽くし、自分たちは富を築くやり方をとってきた。そこにはあからさまな人種差別、他者と自分たちは違う生き物であるという考えがあった。

時代は流れ、1900年代に至っても白人たちのアジア人、黒人に対する人種差別は止まなかった。植民地とされた国は宗主国への反発からクーデターを企てようとする者もいたが、英、仏などの巧妙な陰謀によって阻止される事がしばしばだった。特に、インドではインド青年の手首が切り落とされ、フィリピンでは米軍に反発したフィリピン人青年に対しての処罰から何の関係もない民間人を40万人も虐殺したとされる記録も残る。白人は暴力の限りを尽くし、自分たちの思い通りにならないことは力でねじ伏せ服従させた。

植民地で破壊の限りを尽くした結果として、第一次ヨーロッパ大戦(世間でいう、第一次世界大戦)が起こる。結果はアメリカの参戦もあり、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(かつての大国、現トルコ)の敗北が決まった。

大戦は世界中に大きな影響を与え、二度と同じ事が起こらないようにと国際連盟が設置された。

世界で初めて人種差別撤廃条約を打ち立てた日本人

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日露、第一次ヨーロッパ大戦で戦勝国となった日本はアジア人で唯一武力で白人と対等にのし上がり、国際連盟の参加が認められていた。上の外務省のページにもある通り、日本は世界初の「人種差別撤廃条約」を提案することになる。しかし、出席者16名中11名が賛成、つまり過半数が賛成だったにもかかわらず、米国のウィルソン大統領によって可決されず、記録に残されるだけとなった。

日本人は白人が武力にものを言わせ、世界を征服しようとしている中、唯一紛争や戦争の再発防止、さらには争いの根底とも言える人種差別への問題提起からそれを撤廃するための法案を国際連盟という、白人が組織し、白人目線でしか事を謀ろうとしない国際会議の中で主張できたことは同じ日本人として、その末裔として誇りに思わなければならないだろう。

さて、この出来事は1919年に起こった出来事だが、一方で英仏は何をしていただろうか?

英国の三枚舌外交、仏の中東進出

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上はイギリスが第一次ヨーロッパ大戦中に行った中東に対する外交、所謂三枚舌外交である。三枚舌外交とは簡単に言うと、全く矛盾する約束をいろんな相手と結んだということである。つまり、英国はどう転んでも自分たちの利得が手にできるよう巧妙な嘘をついたのである。英仏露の間で結ばれたサイクスピコ条約での中東分割、アラブ人の国家を創る事を約束したフサインマクマホン協定、パレスチナ地区におけるユダヤ人国家の創設など、現在でも大きな問題を抱える中東の根本的な火種をつけた極めて悪質と言える外交を行なったのだ。

日本人が世界平和を守るために美しい人種差別撤廃条約を提案する一方でこのような私利私欲のために世界を混乱させるべく外交を行なっていた連中がいたというのは皮肉であろう。どっちが正義なんでしょうか?

まとめ

今回は人種差別撤廃条約について取り上げました。大東亜戦争以前の1919年にこの提案がなされて、現在の人種差別撤廃条約が成立するまで約40年余かかっています。もし、あの時英米の代表がその問題について真摯に考える事ができたら、世界からもっと早い段階から人種差別が撤廃できたであろう。


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