今日分かったこと。
昔からの信頼できる友人と会って、ここ最近のお互いの話をする中で、気付いたことがある。
それは、『自分が正しいことも結構ある。』ということ。
私は比較的すぐ自分が間違ってると思ってしまうタイプ。一般的には気に病む必要がないことでも、旦那や会社の上司、親や友人など誰かに否定されたら気に病んで、自信をつけるチャンスから逃げてばかりいた。
でも、彼ら彼女らは私ではない。私にとって正しいか間違ってるかは私が決めることだ。
そんなことをお風呂に入りながら思っていたら、ふとある出来事を思い出した。
今から3、4年前のある会社に勤めていた時のこと。社長に気に入られていた私は取締役会議に取締でも役職者でも何でもないのに出席させられたことがある。その時、グループ会社の取締役(男性、30代、旧帝大卒)から、どけよと言わんばかりに、わざと肩をぶつけられたことがあった。その取締役はグループ会社内では評判が良かったこともあり、私はその時大変なショックを受けた。性善説を信じ、平和主義で刺激に弱い私は、今でも思い出すとグサッと悲しくなる。なぜそんなことをするのだろう、、、とずっと思っていたが、ショックで誰にも言わなかった。もし、その人が良識良心のある人間なら、本人も少しは心を痛めているだろう。まぁ、このことは私には関係ないことであって、私は八つ当たりされただけだった。
私は社長に怒鳴られても耐えて、社長が伝えたいことは何かを必死に考えてやってきた。その頑張りが認められた。ただそれだけだ。自分はプライドゆえに怒鳴られることから逃げて社長と接することを避けてきたくせに、クソアホヘタレが。と今でも言ってやりたい。笑
本当に良い迷惑だ。
これからもそんなことは起きるだろう。だけど、もう私は気に病む必要はない、私は関係ない、と自分に堂々と言えるだろう。そして、そういうことをする人間からは距離を置く、愚痴ってもいいと思う。だって、悪いのは向こうなんだから。
まぁ、でもその人にもそうしてしまった理由があるんだと思うと許せはしないけど、やり返そうとかいう発想にはならないかもな。
さすがは平和主義。
長くなったけど、今日分かったことは、
自分が正しいことも結構ある。
ということ。自然と内省してしまう私たちには、そういう考え方が必要だということ。
これからの私たちの人生をより良いものにしていくために。
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