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美味しいものは、体に良い・・・はずでは


美味しいと思うものは、体に必要なもの、体が欲しているものだ。
そのはずだ。

ではなぜ、体が欲しているもの食べているのに、体が悪くなるのだろう。

例えば、甘いものをどんどん食べる生活をしていると糖尿病になる。

塩辛いものをたくさん食べる生活をしていると高血圧になる。

あるいは、美味しい美味しいと、どんどん食べていると肥満になってくる。

おかしくないか

何をくだらないことを、そりゃ食べすぎるからだ。
何事も限度を超えるとおかしくなるのは当たり前だ。

そりゃ、そうだとは思う。

問題は、何故、体は警告を発しないのだろうかということだ。
なぜ、限度超えたぞ!これ以上食べたらダメだ!と警告を発しないのだろうか。

食べたくなくるとか、気分が悪くなるとか、どこか痛くなるとか、なんでもいいが、食べすぎている、やめろという反応が体からあってもいいのではないか。

だってそうだろう。
我々の体は、数百万年の進化の歴史の中で作られてきたものだ。
生き延びるために、とても合理的にできている。
そうでなければとっくに絶滅している。

実際、食べ過ぎるとお腹が痛くなることがある。そもそも、満腹状態でさらに何か食べようという気にならない。たとえそれが大好物であってもだ。

また、好きなジュースでも、一度に1リットルも飲もうとすると苦痛だし、2リットル飲むとなれば、それは拷問だ。体が猛烈に抵抗するだろう。

このように、体の処理能力を超える量の食べ物は体が受け付けない。
なのに、体の必要量以上食べる(摂取する)ことは、体は拒絶しない。

ここで一つ、概念を明確にしておこう。
体の処理能力と体の必要量だ。

体の処理能力:食べ物を1日に消化・吸収することのできる量
体の必要量:体が1日に必要とするカロリーや栄養の量

さて、話の続き。
体の処理能力を超えると、体から警告が出る。
しかし、体の必要量を超えても、体から警告は出ない。

この違いはどこからくるのだろうか。
確かに、緊急性のあるなしはある。

処理能力を超えるのは、差し迫った問題になる。
反対に必要量を超えるのは、言わば在庫が増えるようなもので、ある程度はあっても良い。しかし、増えすぎる在庫は、体の負担になることを考えると、やはり問題だということになる。

どちらも、体に悪いことには違いはない。
必要量を超える場合の不都合について、体は言わば見落としているのだろうか。

体は合理的に出来ている。
数百万年の試行錯誤の結果で作られている。
見落としなどありえないと思っていい。

であれば、結論は、体はこの必要量を超える場合に対しては、対応不要と結論づけたということになる。

それは、不都合がないのではなく、そういう事態が生じることを想定する必要がなかったということだ。

つまり、人類はその数百万年の歴史の中で、必要以上に食べ物を食べれるような状態になかったのだ。

例えば、塩。
食物の中に含まれる塩などごく少量だし、陸上で塩のあるところは、限られている。だから、塩不足になることはあっても、塩をとりすぎるというようなことは、ありえなかったのだ。

また数百万年にわたって、人類は飢餓と隣り合わせで生きてきたのだ。
とても、潤沢に食べ過ぎて、肥満になって困ったというような状態になかった。

現代は、飽食の時代と言われるくらい、飢餓とは無縁の生活を我々日本人は送っているが、こんな状態はここ数十年の異常事態なのだ。

だから、体も必要量以上の食べ物を食べた時の対応などしておく必要がなかったのだ。そんなことは滅多に起こらなかったのだから。

やっと結論が見えてきた。

美味しいと思うものは、体に必要なものだ。
だから、食べればいい。

しかし、食べ過ぎるのは体に悪い。

だが食べ過ぎかどうか、体は教えてくれない。








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