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決死の覚悟でジャングルジムのてっぺんに登った



「やった! 登った!」
「ジャングルジムの一番上のネットの上に、両足で立った!」

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何を大袈裟なと思うだろうけど、私にとっては一大事だった。
何がというと、恐怖心のコントロール。これが難しかった。

事の次第はこうだ。
バランス感覚の鍛錬をしている過程で、海岸の堤防の上を歩く訓練をした。この時に、自分は高さに対して致命的に弱いということを再認識した。
高さに対する恐怖心が半端ない。

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たかだか、1m程度の堤防の上(幅40cm)を歩くにも恐怖心を覚える。
もっとも、堤防に関しては、高さもあるけど、40cmの幅から踏み外す恐怖もある。

とにかく、高いところが超苦手なのだ。
高所恐怖症とまではいかないまでも、高所恐怖癖は確実にあると思う。

気に食わない。
恐怖心があること自体は、悪いことではない。
むしろ生物としては、危険回避のために必須の感覚、能力でもあると思う。

しかし、恐怖症とか恐怖癖となる話は別だ。
「症」とか「癖」は、要は過剰反応だ。
現実に存在する危険に対し、それの認知として意識する危険が大きすぎるのだ。現実と認知がずれている状態だ。

これは、まずい。
ということでジャングルジムでのトレーニングを始めた。
ジャングルジム(それもロープジャングルジム)は、バランス感覚、高所感覚、距離感を鍛えるのにいい。それに、登ったり、降りたり、掴んだり離したり、伸びたりしゃがんだりと、ほぼ全身を使うので、体全体の動かし方の訓練としてもいいと考えた。

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最初はびびりまくった。
ロープジャングルジムは、揺れる。
最下段は、高さが1m程度なのだが、それでも落下の恐怖で、足がすくむ。
体の動きのぎこちないこと。
側からみていたら、さぞかし滑稽に見えただろう。

しらがの爺さんが、そんなことをして恥ずかしくないかと、息子に聞かれた。自分に必要と思う鍛錬をしているだけだ。こちとら命がけ。
人が何んと思うおうとしるもんか。

最下段での訓練をしている時に、上のほうに登ってみた。
なんとかネットに触るところまで登ることができたが、そこまでだった。

写真でわかるように、ネットに登るには、ジャングルジムのロープの外側に出る必要がある。
内側にいる分には、万一バランスを崩しても、体の周りはロープで囲まれているので、まず大丈夫だ(それでも十分高さの恐怖はあるが)。
しかし、外側に出て、バランスを崩せば、本当に落下する。
きょ〜〜〜〜〜ふ!

ジャングルジムでトレーニングを始めて2ヶ月ほど経ったが、この間、頂上に登ることをいつも意識していた。
実際何度か挑戦してみたが、ずっと敗退し続けた。

理論上はいけるはずなのだ。
高さがあっても、掴まるところも、足をかけるところもある。
ほとんどの所は、3点支持(両手片足、両足片手)が可能だ。
1mだろうが1000m(ブルッ!)だろうが落ちるわけがない。

しかし恐怖心で上がれない。
下の方でもっと練習して、慣れてから挑戦すればいいとか、自分に言い聞かせた。
逃げの言い訳だ。情けない。

理論上いける
つまり、落下しないで、あるいは落下の危険を無視できるくらい、最小限のリスクで登ることができるはずなのだ。
なのに登れない。
恐怖心ですくむ。

・・・いつか登れるようになろう。
アホっ!
理論上できることは、できるんじゃ。さっさとやらんか。

およそ、理論と現実の間で齟齬を生じる時は、理論が間違っているか、前提が間違っている。あるいは、理論と前提の両方が間違っているのだ。

何度も考えた。
理論に欠陥は見出せない。
前提条件の最大要素、体力にも問題ない(腕力、脚力、腹筋力)。
あとは・・・・思いつかない。
となると、原始脳からのけたたましいアラート、恐怖感は誤報である。
無視して敢行すべし。

しかし、このアラートの切り方が分からない。
もっと問題なのは、このアラートに影響を受けて、私のか弱い理性がパニクリ間違った判断をしてしまうことだ。

ということで、予め理性に引導を渡すべく、理論武装を強化した。
「死ぬかもしれない。」
この程度で死ぬのなら、俺もここまで・・・さっさと死ねばいい。

「落下したら、死なないまでも、怪我をするかもしれない。」
まず落下の可能性は極めて小さい。
万一落下しても一挙に地面まで落ちるわけではない。
途中、何度かロープに引っ掛かる。
したがって、大した怪我にはならない。

「打ち所が悪ければ、大事になるのでは」
頭部と頸椎、背骨に大ダメージを受けない限り問題ない。
手が折れようが、足が曲がろうが、指が飛ぼうが致命的ではない。
落ちる時は、頭部と頸椎、背骨を何があっても死守せよ。後の部位は緩衝材と考えよ。

「今やらなくても・・・」
うるさい!
原始脳に振り回されるのか。それも誤報とわかっているのに。
だいたい今までも、ルーティンを離れ、理論上いけると思ったことをやった時はアラートが聞こえただろう。今回は、そのアラートが命に関わり、より直截で激しいだけだ。

死ぬまでガッツリ生きるつもりなら、これから幾度となくこのアラートが聞こえるだろう。
そのたびに、萎縮して動きを止めていたら、すぐ時間切れになってしまう。
この程度のアラート(誤報)は、さっさと無視できるようになるべし。
そうでなければ、今すぐアラートの鳴らない世界に閉じ籠れ。
そして、そこでじっと身動きもせずに朽ちていけ。

どうだ、耐えられるか。
そうだ、お前は、そんな凄まじい世界に耐えられる程、出来は良くないんじゃ。

わかったか、ばかめ。
とまあこんな感じ。

で、決行した。

ジャングルジムに行く車中。
今日は、やめにしようかな。却下。

駐車場からジャングルジムに歩きながら。
やっぱり今日はやめて別の日にしようよ。却下。

ジャングルジムが見えてきた。
ん?
恐怖と戦い何とか折り合いをつけようとしていた時にイメージしたいたものより、2、3m低い(それでも4、5mはある)。
なるほど、ここでも恐怖心が認知を歪めていたか。
こりゃいけるかもしれんと、ちょっと元気になる。

ジャングルジムに着いた。
タバコを一本吸ってから取り掛かるか。却下。

下の段を1、2周して体を慣らしてから、やった方がいいのでは。却下。

上のネットの下までたどり着いた。
よせばいいのに下を見た。

うわ〜っ。
こんないらん事をしようなんて考えやがってと、自分に逆切れしそうになる。

2段ある下の段のネットに登るため、体をジャングルジムの外側に出して、体を確保しようとする。ルートが見つからない。そんなはずはない。焦る。
強引に恐怖を押さえつけるためにエネルギーを使っていたため、思考力、観察力が急激に落ちていたのかもしれない。

やっぱ無理!やめよう! 却下、却下、きゃっか〜〜あ。

ロープを掴んでみるが、把握感がない。
仕方ないのでネット自体の中に指を引っ掛けるようにして、何とかなじむ場所を探してよじ登った。

ネットの端に手をかけるが、ロープがネットを作っている細いロープに巻かれているため太くなっていて、下の段のロープと感触が違う。

やった、ネットに登った!
この時が一番怖かったのだと思う。ちょっとした高揚感を覚えた。

その後、最上段のネットに登ったのだが、実はどうやって登ったのか、全く覚えていない。
とにかく最上段のネットの上に両足で立って、夕暮れの日本海を見渡した。

エベレストの山頂から遥か連綿と繋がるヒマラヤ山脈を見渡す時もこんな感じなのだろうかと感慨深いものが・・・・なんて余裕はなかった。
思ったのは、ただ一つ。早く下りよう!

実は決行の前日、トップに登れたら、両手を天に突き出し万歳の姿勢をとりながら空を見上げようと思っていた。

やった。・・・片手で。
もう一方の手は、しっかりポールを握っていた。

でもこれでは、トップで両足だけで立ったことにならない。
というので、ポールを両手で掴んでいたのを離した。
その距離10cm程。パッと離してすぐ掴んだ(根性なしめ)。

だが、最大の目標である頂上征服は成った。
この手のことに関しては、情け容赦のない私だけど、この時はすんなり受け入れた。まあ、良しとしよう。

下りる時もそれなりに緊張したが、今ではよく覚えてない。
不思議なのは、下りた直後から1番上のネットに立った感覚がなかったこと。
確かに、立って、日本海を見渡したことは覚えている。
しかし、あのネット最上段の上に立ったという体感が全くない。

よほど早く下りたかったのな。

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