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木にも感情はある・・・  #1樹木たちの・・・          

木石にあらずという言葉がある。
木や石と違って感情・情感があるのだという時に使われる。
前提は、石はもちろん、木にも感情などないというのを前提にしている。

ところが、石はともかく、木には感情があるかもしれない。
というより、あると言い切っても良さそうなのだ。

ある森に、苔むした岩があったと。
ただ、岩にしては、真ん中が空洞のアーチ型をしており、不自然。
よく見るとそれは、古い切り株だった。

そこで、表面の苔と樹皮をそっと剥がしてみると、緑色の層があった。
植物で緑色というと、それは葉緑素しか考えられない。
これが意味するのは、その切り株は死んではいないということだ。

普通木は、切り倒されると数十年で、完全に朽ち果て土にかえる。
切り倒されると、光合成ができず、木の細胞が生きるのに必要な糖分を作れないので、飢え死にして死んでしまうからだ。

しかし、状況等から、その切り株は、切り倒されて400〜500年は経過している!

何が起こっているのか。
根が生きるのに必要な糖分を吸収している(根しか残っていない)。しかし、地中に糖はない。あれば、光合成とかする必要はない。

では、どこから。
隣に生えている木の根を通して、隣の木から糖液を分けてもらっているとしか考えれない。

そうなのだ、木は、切り倒され、もはや自分の力では生きていけなくなった隣の仲間の木を数百年にわたって、助けていたのだ。
これはブナの木の話だが、ナラ、モミ、トウヒ、ベイマツで同じようなことがあるそうな。

しかし、同じ切り株でも、全部が面倒を見てもらえるわけではないという。
言ってみれば、仲良しの木同士でしかこんなことは起きないらしい。

また、木は枝を伸ばすとき、隣が仲の良い木だと、隣の木と同じような高さ、そして、枝先に触れる程度までしか伸ばさないという。
反対に、友達でない木の方向には太い枝を広げるという。

つまり、木には好き嫌いがあることになる。
好き嫌いというのは、感情ではないか。

ところで、面白いことに、切り株を援助するというような強い友情ないし愛情は天然の森林の中でしか見られないという。
植林された森林の場合、植林の時に根が傷つけられてしまうので、仲間とのネットワークが築けないからだという。






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