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筋トレ  楽し〜い・・・?

Youtubeを見ていたら、筋トレの動画があった。
それも、筋トレのやり方とか正しいフォームを教えますとかいうジャンルではない。

全日本クラスの選手と、一緒にメニューをこなすという番組。
3時間ぶっ通しで、これでもか、これでもかという感じで、負荷をかけ体を苛め抜く。

ジムのあちこちから、「ゔぉー!」とか「ぐぁー!」とかいう声が鳴り響いている。
こんな声を出して、近所から苦情が来ないかと聞くと、「みんな怖がって近づいてこない」とか・・・。

ざっくりいうと、100Kgを上がらなくなるまでやり、80Kgをこれも上がらなくまでやる。その次は、60Kg、40Kg、20Kgとやり続ける。
少し休んで、これを5セットくらいやる。
こんな感じで、腕、胸、腹筋、脚のトレーニングをやる。

そりゃ、きつい。
「ゔぉー!」とか「ぐぁー!」という叫び声も出るだろう。

参加者が、「きつい、胸が悪くなってきた」と言ったら、
「自分も何回も吐いたことがありますよ。」なんて、さらっと言っておられた。

ところで、今回の話は、世の中には、すごいトレーニングをする人がいるのだの、という点ではない。

何かというと、こんなトレーニングをして、それこそ吐きそうなくらいヘロヘロになりながら、

「筋トレ、楽しい〜!」と叫んでいる点だ。

最初、トレーニングのキツさに、心が折れないようにと、自分を励ましているのかと思った。
それも、あるかもしれない。

しかし、どうも、本当に楽しそうなのだ。
筋トレで吐くまで自分を追い詰める。
当然、苦痛は半端ではない。

それが楽しい?
と、ここまで読んだ方から、「それって、マゾなんじゃない。」という言葉が聞こえてきそうだ。

私は、マゾに関しては、あまり詳しくない。
(サドなら分かるというわけではないが、マゾよりはわかる気が・・する。)
しかし、どうも違う気がする。

なぜなら、苦痛に対する姿勢が、受動的ではないからだ。
ただ、苦痛を耐え忍ぶというのではなく、自ら苦痛に立ち向かっていっている感じなのだ。

言い方を変えると、苦痛で自分を罰しているというような方向ではなく、
苦痛を、それこそ蹴散らしに行っている感じなのだ。

ボディビルは、努力が目に見えて成果となって現れやすいスポーツだと思う。一定の周期で、目標とする筋肉に通常以上の負荷をかけ続ければ、大抵の人は、筋肉が大きくなる。

この時必要なのは、負荷(当然苦痛が伴う)に耐える意志と継続することだ。この2つがあれば、いわゆる運動神経とか才能とかは、あまり関係ない。(ただし、何でもそうだが、チャンピオンクラスになると元々の体の才能とか必要かもしれない。)

ボディビルがスポーツなのかどうかは、疑問には思う。
スポーツの定義に関わることだが、格闘あるいは戦闘がスポーツの起源だとすると、筋肉の美しさを競うという時点で、どうも違う気がす。

ただ、筋トレをする過程で、戦闘に必要な基礎体力の一部がつくのはもちろん、意志の強さや、苦痛に対する耐久力が養成されることはあると思う。

この意志と継続する力があれば、着実に成果はでる。
(もちろん、やり方が正しいということも必要だが、ある程度までなら、適当にやっても成果は出る。)

ここに筋トレが楽しいとい思う鍵があるように思う。
筋トレを始めると、早くて1月、遅くても3ヶ月も経つと目に見えて、筋肉が大きくなってきているのがわかる。

もっとも、見た目ほど筋繊維そのものが多く、あるいは大きくなってはいないのだが。
大体、筋肉の75.6%は、水分だ。だから、筋繊維=筋肉そのものを10Kg増やすとなると、体重にして、約41Kg増やさなければならない。

単純に体重を41Kg増やすのは、さほど難しくない。
沢山食べて、ごろ寝していれば増える。
しかし、トレーニングして、筋肉だけで、これだけ増やすというのは、至難の技だ。


自分が自分の体をコントロールしているという実感を感じることができる。
ひいては、自分の人生をコントロールできている(実際ある意味コントロールしている。)という感覚が鮮明になる。

自分の人生はもちろん、自分の体さえコントロールし切れていないという、感覚を多くの人が持っていると思う。
だから、これは快感だ。

筋トレ楽し〜い!

となるのではないかと思う。
このレベルになれば。


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