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食べたいものを聞かれても

20代の設計や研究開発職の時、定時は8時から17時でした。
ですが定時に帰った記憶は数回あるか無いかぐらいで、21時に家に着けば早い方、0時回るのも珍しくなく。
設計して組図も確定させ、1つ1つの部品図を作成して製作工場に発注にかける「出図」の前日なんかは、3時や4時まで会社にいてほぼ泊まりだったりしたものです。

もちろん労働基準ではアウトなため、19時や20時には退勤して残りはサービス残業をしていました。
給与明細に記載される残業は40時間や60時間でしたが、実際は100時間を超えているのが実情で、私だけではなく会社全体、ひいては業界全体の体質かもしれません。
当時はHEVの車載電池の競争が国内外で激化しており、新工場に製造ラインを追加する某メーカーの発注条件は納期やコストダウンに厳しかったため、設計などを業務にしていて関わりのある同業他社も似た状況だったように思います。
上司は私よりも夜遅く残って朝早く来ていたので「いつ寝ているんだろう」と心配なぐらいでしたが、趣味や家の農業もしているパワフルな人でした。

そんな状況でしたので、自炊なんてする暇はありません。
田舎の会社だった為、開いている外食やスーパーは周りになく、コンビニを頼りに生きてきました。
夜中の田舎のコンビニは、お弁当なんて売り切れてほぼありません。
買いたい商品を選ぶことはできず、売れ残ったものを買うしかないのですが、残っている品目は毎回ほぼ同じようなものでした。
ご飯ものがない時は菓子パンやカップラーメンやお菓子で済ます。
本当にひどい食生活だったと思います。

メンタルを壊すまでそんな生活を何年も続けてきたため、私にとって食事とは楽しみではなく、家畜の餌に近いものでした。
何でもいいから、買えたものをとりあえず胃に詰め込む作業。
すると、いつしか自分で自分の「食べたいもの」が分からなくなりました。
今日の晩何食べたい? 満腹になれば何でもいい。

この性質は、療養を終えて社会復帰しても変わりませんでした。
毎日同じメニューでも全然良いので、冬なんかは楽で美味しい水炊きが頻繁に登場しています。
食べてくれる人がいる時は自炊も楽しかったりするんですけど、一人分となるとなかなか腰が重くて……。
もっと食に興味を持てたら良いなとは思うんですが、なかなか元には戻りませんね。

これも普通の人には理解してもらえない質のため、ここにdumpすることにしました。
休職して時間があるので自炊でも頑張ってみようかとは思うのですが、食への興味が薄い為、簡単なメニューで終わってしまいます。
20代の大事な時期に、学生時代に努力できなかった劣等感をなんとか払拭しようとして、仕事に一生懸命になりすぎた故の結果です。
15年以上前の300人規模の田舎の中小企業のお話なので、今の時代ならまた違っていたかもしれません。

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