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やさしい爪痕

週末、お好み焼きをつくろうとした時のことです。

まるまる一塊のキャベツを手にとり、シンクの水に浸そうとして「そうだ、外側の一枚はとり置いてあげようか」と、脇へよけそうになりました。

もうその必要は、ないのに。

そうやって、何度も同じ類のことをしてしまう。反射なのだから避けらない。いちいち息を吸い込んで考え直す。その繰り返しがボディブローのように効いて、しみる。凄いなぁ‥‥と面影をたどってしまい、手が止まるのでした。

やさしい爪痕を残していった鳥について綴ります。

新しい生活を見知らぬ街ではじめようとしたことがあって

最初こそ、不安と開放感が混じったような希望がありました。けれど、数ヶ月もするとそれも薄れていった。悪いことじゃない。ただ、落ち着きと引き換えに、息の詰まるような日常の空気が、二人の間にところどころ広がっていくのを感じはじめていました。

1対1って、逃げ場がないんだ。知らなかった。

家族で住んでいた頃とは違い、間取りが狭くもありました。だけどそこは、週末ごとに何件も回って、ようやく見つけた借家。なかなか条件と折り合いがつかなかったのは、家を探すこと事態に不慣れだったから。ちょうどその頃は、住み始めるための疲れと住み始めてからの疲れが、ドロドロに混ざって表に溶け出していたのかもしれません。


そこは毎月の家賃が振り込みではなくて

店子が不動産屋へ現金をもっていき支払うことになっていました。どこにでもありそうな地元の小さな不動産屋。顔を見せて、お茶をすすって、世間話を適当にしたりして。当時としても少なくなった懐かしいスタイル。

数回、それを繰り返しているうちに、なんだか不動産屋の顔がインコに見えてきた頃、「もう一度、鳥を飼いますか?」という話になりました。初老の店主はインコマニア。で、私は鳥好きでした。

あの広い足と足の間に、フカフカの羽をたっぷり含ませているのがたまらない。風通しのイマイチな我が家に、新しいメンツが増えるとしたら、そりゃ鳥がもっともふさわしい。それで、「鳥専門店」を紹介していただいたんだと思います。


「鳥専門店」といっても

そこは、かつてデパートの最上階にあったようなペットショップではなくて、店内にたち入ると、上から下まで鳥が入っているカゴがずらっと並ぶようなところです。線路沿いの一軒家。店内はもうもうと羽毛が飛んでいて、香ばしいヒエとか粟の匂いが充満していて、耳だけ南国にいるような気分になるところです。

名前を告げると、レジの前にあるテーブルへ案内され、立ったまま。大判焼きでも入ってそうなネズミ色の箱を目の前に差し出され、店主が蓋を開ける。親鳥の素性は全部わかってるからとか言われつつ「どれがいい?」という。

選ぶのかっ!選べるのか!
ドギマギしているうちに、真ん中の子を勧められました。

すんなり「あ、そうですね」と了解した、その時、くるっと鳥の首で振り返ったのを覚えています。

何かを察したようで。その時しっかり目があった。


それから、四半世紀

ずっと一緒に暮らしていました。鳥専門店の店主のジャッジが、良心的だったと言わざるを得ません。後のいろんな相談にも、お嫁さんの手配もお任せできました。最後の2年間、出張しながら介護もしました。

ただ、「レタスはダメなのに、キャベツが好きってどういうこと?!」みたいな、摩擦をふくむ思い出がいっぱいで、

もう鳥を飼おうとは思えなくなりました。

誤解があるといけないので濁さず言うと、長生きしてくれて本当に嬉しかったんだけれど、どの鳥も、もう今からでは最後まで飼えない気がしてしまうのです。動物を「飼う」と言うより「向き合う」ことを思い知ったと言うか。それも、ぼんやりした想定の3倍の時間をかけて。

言ってみれば、たくさん恋愛してもいいかなと気軽に手を出したのに、お見合い結婚のあと浮気せず金婚式を迎えるような巻き込まれ感。だって、最初は「新しい風」ほどの期待しかしてなかったのだから。

それに、彼の濃い「個性」と、鳥とは思えない「賢さ」が胸に刻まれすぎて、数々の鳥たちがどんなに可愛い風貌でほほえんでも色褪せて見えてしまう。これも想定外ですよ。もう、うっかり「鳥カフェ」に行ってはいけないということもわかっています。よその子もアイドルみたいに写真を見るだけで充分。文字どおりに、彼はやさしい爪痕を私たちに残して逝きました。


可愛いだけのペットだったら「家族」とは思えない?

かというと、そうではありません。ふかふかモフモフ大好きです。が、我が家では、スタートがスタートだっただけに「家族」といっても2を3にするための社会性を期待された存在。愛玩的なことがらをさておいて「新しいメンツ」を待望したのだったし、鳥専門店から配備されたように「戦友」となった鳥。あんなに小さいのに、そのポジションにおさまるタイプ、個性の持ち主でした。それを、私は、まだ懲りずに、他の鳥にも期待しているのでしょうね。

期待しない恩恵を「棚ぼた」というなら、それを四半世紀ものあいだ被り続けたことに感謝しかありません。欲を言ってよければ、もしも生まれ変わりがあるのなら、再会したい。「実は、僕‥‥」っていう展開を小説でもマンガでもいいから。

居酒屋とかに行っても、キャベツ食べてると思うんです。水が汚いと足でトントンしたように、テーブルをトントンしながら交換してくれって言うと思うんです。ということで、次は「人間」で再会お願いしたいです。


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