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暖暖|クマのぬいぐるみ

生まれて初めて与えられたものに、クマのぬいぐるみがありました。今思えば、白と焦茶のテディーベア。引っ越しを繰り返すうちに、いつの間にか居なくなってしまったのですが、ボロボロでした。

別件で、母親が、

そういうのダメね
私はね、勝手に人のものを捨てたりしないわ
え?
クマのぬいぐるみとか、いつの間にか無くなってるんだけど?

黙秘。


そういう会話のやりとりをしたことがあります。

ちょうど白と焦げ茶のテディーベアが姿を消すか消さないかの頃、パンダのぬいぐるみを祖母にプレゼントされました。デパートへ連れて行かれて、ワゴンに大量に載せられているパンダの山。そういう時代です。

日本昔話に、大きい箱と小さい箱を選ばせる場面がありますね。欲の深いおじいさんは大きい箱を奪い取るように選ぶんでしたっけ。私は、ワゴンのパンダの前で母親からこんなふうに説かれました。

大きいパンダは、誰も持っていない
ただし、保育園には持っていけないからね

小さいパンダは、保育園に持っていける
ただし、リカちゃん人形と同じで誰でも持ってるわ

どっちにする?

どっちにしたと思います?

その頃私は、まだ保育園生で、毎日のようにクラスメイトが新しいリカちゃん人形を園内に持ち込んでは自慢げなのを眺めていました。とてもかわいいな、羨ましいなと思っていました。それだけじゃなくて、リカちゃんを園内に持ち込んでいたのはボス格の女の子。彼女には子分2人がいました。そのグループが、持ち込みオモチャでカースト・トップを維持していました。だから、その関係性が煩わしかった私は、一瞬リカちゃんの対応馬としてパンダのぬいぐるみを考えなくもありませんでした。どっちにしよう、うーん、うーん。凄く悩んで、心がウロウロしました。だから、その時のことを鮮明に覚えています。

そして、迷わせておきながらも、私の母親は待ってはくれません。急かされて、買ってもらえなくなるかもしれない恐怖も味わいつつ、その圧迫選択の中で、エイやっと大きい方を選びました。つまり、欲しいものの方を選びました。

だから、その大好きなパンダを、保育園には一度も持っていけませんでした。私が、当時では珍しいパンダのぬいぐるみを手に入れたことを、親しくない子は知りません。

それでも、自分の身長と同じくらいのパンダちゃんと、ブランコに乗ったり、一緒に寝たり、手応えのある存在の相棒に満足し、ぬいぐるみライフを満喫しました。何より寂しくなくなりました。大きな心の支え。大きいぬいぐるみは、その存在が、とてつもなく温かいのです。

面白いもので、あの時の意思決定が、その後に影響していると思うのです。強烈に意識して決めたことは忘れない。保育園児でしたし、本音だったと思います。だから、私にはあの頃からずっと、誰かに見せることを前提に大切なものは選ばないという行動パターンが刻み込まれています。

よく雑誌にある「自慢できる〇〇」という見出しが、他の人よりもたぶん、ピンと来ないのです。

つづく

追記:2020/12/04添付



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