大人の階段を上るには
竹内まりやさんの「元気を出して」をカラオケでよく歌っていたと先日書きました。腰まであった長い髪を切った姪の話と一緒に、このnoteに書きました。
もちろん、いまはカラオケに行けていません。
ちょうど、初ひとりカラオケの場所を選んでいる矢先に自粛生活が始まってしまいました。隣人から、違った意味で壁ドンされない程度に、お家カラオケを小声で時々楽しんでいます。
この「元気を出して」は、仕事の付き合いで、一曲くらいは「明るい歌」を歌をと焦った当時に、もともと大好きで、かつ、カラオケでも通用すると選んだ曲。声質と肌に合った曲でした。失恋した大切な人が登場するから「明るいのか?」と改めて問われると微妙だったかもしれませんね。明るい方向へむいた歌ですが、ノリノリの踊れる歌ではないかもしれません。
でも、中島みゆきさんの「わかれうた」よりいいんじゃないか。と、思うのです。
一度だけ、数合わせに誘われた合コンで「わかれうた」を酔いに任せて熱唱したことがあります。その時は、全員がお酒も深まった時間帯で、お互いに、特に、誰も聞いていない状況。ドン引きされるとも思わず、マイクが来たので歌いました。小さい頃から知っている大好きな歌があった!歌ってみよう!というノリで。
それを、たまたま聞いていた一人の男性から「モノマネしてんの?似てるよね。いいよっ、許す!」と寛大に許されたとき初めて、「場違いだった」と気づきました。そのくらい、当時カラオケ慣れしていませんでした。翌日、合コンを企画した女子にも「あのね、普通『わかれうた』歌う?」みたいな叱責もあって、根本的なノリ感覚ががズレているんだと自覚したものです。
そんなふうにその頃のカラオケとは、場の空気を読んで、そこにふさわしい歌を選んで歌う機会。私には、そういうカラオケ文化が染み込んでいませんでした。
というのも、私の大学時代から20代半ば過ぎくらいの10年間前後というのは、テレビとカラオケと居酒屋に縁の薄い期間。すっぽり抜けていて、リアルタイムでは観ていなかったりします。同世代なのに知っている歌謡曲やドラマが共有できないこともしばしば。ある意味、帰国子女に近い状態です。同窓会も行けなかったし、あまり誘われもしなかったら後々参加できても思い出が共有できませんでした。
そういうことが増えると、自ずと人と違うことに気をつけるようになります。感受性は高い方なので、自意識を過剰気味にしないと社会で生きにくいのです。
だから仕事が急激に増えて、仕事関係者と飲む機会も増え、カラオケに仕事として参加するようになったとき、私は「音」が好きとか「言葉」が好きとか「アーティストの声」が好きと言った理由で、カラオケを歌わなくなりました。沖縄の取引先の方がいれば「涙そうそう」、荒そうな人生の方がいれば「舟唄」、70・80代前後のご婦人方となら「なごり雪」「学生時代」までも。上手じゃなくても大丈夫。ツッコミどころ満載で。お仕事をご一緒するのは年配の方が多かったのですが、性別、好みそうな文化を嗅ぎ取って歌える範囲で歌い、彼らにも歌いたい歌を歌ってもらい、タンバリンの叩きすぎで年代物の腕時計の針が飛ぶまで楽しみました。
奇しくも、東京からの移住組が目立つ時代になりましたね。
先日ニュースで、亡くなられた筒美恭平さん作曲「木綿のハンチーフ」が、かつての東京へ向かう若者の姿として紹介されていました。が、これとセットに同世代の歌で、伊勢正三さんの「なごり雪」も、今年の冬にいかがでしょうか。
この2つの曲を並べるとわかるように、昔から「東京へ旅立つ人」も「東京から旅立つ人」もいた。し、歌になっている。けれど、今は東京から旅立つ方が目立つ時代なのかな?ということを、気に止めておきたいと思います。
さて、本題の「元気を出して」もらうために、姪へ贈ったプレゼントのお話です。
短く切った髪に似合う「服」を探そうかと思っていましたが、いや待てよと。「恋にやぶれて」はいないのだから、新しい恋のために着飾らなくていいだろ?と。着るものは、新しいアイデンティの構築にとても役立つけれど、失恋してないと思われる小学生の低学年ですからね。その新しいアイデンティティは「自立した自己像」でもいいなと思ったのです。
それで、早めのクリスマスプレゼントとして、PCを贈りました。簡単なプログラミングソフトが入っている学習型のものです。
かつて高学年だった頃、私は一冊の「算数の問題集」を買ってもらったことがあります。教育熱心ではあるけれど放任するタイプの親で、教育にお金をかける気配の少ない人たちでした。が、問題集一冊くらいは「本当にする?なら、買ってあげよう」という感じでした。手に入れたときは、親の狙いどうりか飢えた獣がゲームにくらいつく感じで、夢中になりました。21時過ぎまで解いていたら怒鳴るように叱られたこともあります。でも、楽しかった。ちょうど、自立心が芽生えた頃でした。
そんなことをイメージしつつ、私は姪に、ブルーライトシート付きで、子供用のパソコン練習ができる教材を送りました。後に名プログラマーとして活躍してたりして。しなくてもいいけど、戦後のお裁縫のように、自分の人生を自分で切り拓いていけるような、手に職をつける人になって欲しいです。
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