Noting really matters to me
映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観たあと、フレディ・マーキュリーの存在感が残滓としてあって、それを噛み締めています。上野の美術館へ行って、しばらく忘れられない画が頭に残るときに似ています。
先日久しぶりの人に会ったのですが、たくさん話をし顔がシワだらけになるほど笑いました。その時、たとえば誰にも理解されないことがあったとしても、それを後でこうやって大笑いできるなら、それはそれでいいのかもしれないと思いつきました。
同じように歌にできてしまう才能があるなら、そういうジェットコースター(人生)も乗ってみるもんだと。空に向かって飛びきるような爽快感は、同じ羽を持っていても、飛び切ったものにしかわからないのかもしれません。
条件というのは、それぞれアイテムのように渡されていて、制限や制約があるのだけれど、それとどう向き合って使いこなしてどこへ行くのかは自由。それなりにぞれぞれにわちゃわちゃするうちにどうにかなっていくのだから。
だから、
いいの。私のことはそっとしておいてね
ってことだと思うんです。
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