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満月の夜に3年計画

満月の夜に、方針だけの3年計画を立てたということを、note下書きに納めて寝てしまいました。満月も見ずに。眠くなる時は寝たほうがいいのです。心の満月は逃げません。

春は、桜の開花も素通りするくらいに目の前の自分のことでいっぱいだったけれど、初夏を目の前にして、遠くを見始めました。ちょうど時は満月を迎え。

私は「○年計画」って、あまり立てたことがなくて。

途中で変更しすぎるのが目に見えています。それでも3年計画を立てようと昨日は思ったんですね。それは、外からの何かに応えるたびにyesとnoとが自分の中にはっきりあることに気づいたからなんです。自分に対して「noならnoでいいけれど、じゃあどうしたいの?」って聞いてみたら、輪郭がぼやけた、でも何かしらの存在感のある答えが出てきました。

あなたは自分でやりたいことなら行動力がある人よ

最近、そう言われました。
その時も、本当にそうだなと納得。

だから問題は、その「やりたいこと」なのです。

多くの場合「やりたいこと」よりも先に「やらなければならないこと」が目の前に雨が降るように日常に急き込んでくるものです。求めてなくてもいろんなことが先に起きて、その対応処理で時間がすっ飛んでいくということが多いです。トラブル級の大事件もあります。そのクラスが起きると、気がついたら3年経っていたとか10年経っていたとか。振り返ると「何してたっけ?」って思う。けれど、足元にはいろんなものが転がっていて、何かできるようになっていたり、何かを失ったりしているのです。
片付けを常にしているのは、そういう生活が長年積み重なったからでしょうね。親を見ていると、これからもっと積み上がり片付かなくなるのがわかります。ここらでガッツリ整えたい気分にもなります。
おっとり、いや、ぼんやりしているところがあるので、この遠くが見え始めた今こそ「3年計画」を立てることにしました。その先に、明らかにビシバシ感じる人生のターニングポイントがあるのですが、そこで失速したくないのです。

正直に言えば、3年先は見えません。目先はモワッとしています。社会が安定していた時代でも2年先くらいを想像するのがセキノヤマ。たとえば、目先の、来年の今頃5月はまだ透明感がありますが、2023年の年明けは少しぼんやりしています。そんな感じで、何も形にならないまま2023年を迎えるのはもう辛い、限界が来たなと思うようになりました。

そこで計画です。
「やりたいこと」ですよ。

本日の一歩を踏み出し、1mmでも、望む方へ進むために右へ行くか左へ行くかを決めるのです。

まずは頓挫していた「死んでいる部屋」の後半の入れ替えを、連休中に再開し目処をつけることにしました。予約も完了したので、もう変更できません。頭から離れないアイディアがあって、それを形にしないとモヤモヤが止まらない。無駄になってもいいから無駄にならないようにやってみます。



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