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安心の材料と、「あなた」の背景。


「肌」に触れる事、

人の温もりを
「肌で感じる」事が


「安心に繋がる」

そんな私。



「なぜか」というのには
『私の背景』があって、

母があまり、

「肌を触れ合わせる
愛着行動をする人では
なかったから」


『そうされたかった』。


心の奥に、常に
そんな寂しさがあった事が

その理由だった。


肌を触れ合わせる事が、

科学的にも
安心材料になる根拠は

ネットを調べれば
たくさん出てくるだろうけど、


それだけではない。



人の考え・感情・表現、
そこには必ず『背景』がある。




私の場合は、

母にだっこされたり、
キスされたり、
一緒に寝たり…

「愛着行動」をされた
記憶がないから


「そうされたい部分」が
満たされていなかった。



愛されていたし、
大切にされていたっていう

「感情の記憶」はあるんだけど、

抱きしめられて
安心感や幸福感を感じた記憶が

全然ない。



それに気づいたのは
ここ数年の話だけど、


気づいた時は
少し母に対して

寂しさからくる
「怒り」を感じた。


『なんでもっと
私を愛してくれなかったの!』
って。


『あなたが私を
満たしてくれなかったから、
わたしはこんなにも
寂しい人間なんだ!』
って。


私のインナーチャイルドが
初めて表に顔を出した時だった。



もちろん、
一切されなかったわけじゃない。


でも母は、
「愛情を表現する」のが
苦手な人だった。


なぜか?


これも、

母には
「母の背景」があっての事。



母は母で、

お母さんに愛着行動をされた
記憶がないのだ。



母の母がどうだったか?

もうこの世にいないから、

そこはもう
謎解きができないけれど、



誰も責める事のできない
『背景』が

人の考え・感情・表現の根本に
存在する。


そんな事に気づけば気づくほど、

もっと「寂しいのドツボ」にも
ハマり込んでいった。



自分を産んでくれた
無条件に愛している母
に、

もっと愛されたかった。

もっと触れていて欲しかった。



結婚して
「家族」になった夫
にも、


好きだよー
大切だよー

言葉で愛情を
確認できないのなら、


せめて、

お願いだから
触れていてほしかった。


『家族』に、愛されたい。



同じ屋根の下に住んでいるのに
一番距離の遠い人。


一緒にいるほど
孤独を感じるだけの人。


この距離は縮まることが
あるんだろうか?


縮める事のできないままに、

6年後、離婚に至った。







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