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起業を経験し変化したことは?(お金の振る舞い理解と扱い)

前回に続きエッセイというか雑記です。

「起業や経営をして変化したことはありますか?」

若い方だけでなく、カウンセリングの際に雑談でよく聞かれるんです。
聞かれる度に、「そんなの一言じゃ語りにくいよなぁ」と思考を巡らし、その時に頭にパッと思いついたことを一つ答えているので毎度違う話をしています。

ただ、その中でも会計的なもの、勘定系の話題、
平たく言えばカネ(お金)関連の話が多いので雑記としてまとめておきます。

思えば、自分の創業した会社以外を含めると会社経営歴も4社です。顧問で数字を管理させて貰っていた先を含めると10社弱。僕の関心は裾野の広い中小企業に特化していますが、元々、お金と事業という基礎的なことについて関心が高い性質を持っているのかもしれません。

結論から言うと以下の変化がありました。

【前】「ヒトのカネだし思い切って使う」

【後】「自分のカネだから気楽に使う」

このお金への向き合い方や意識変化を起点に、
財務的な知識やビジネススキルに限らず、人間として成長する機会も多かったと考えています。

経営や起業をしないと意識できないことではありませんが、個人や家庭では金額の波が小さく、単式簿記である家計簿の意識が多いことから、「お金をガチで管理したことがあるかどうか」というのは仕事以外では機会が得づらいものでもあると思います。

お金の話は、心なく儲けること、勝ち負けがあること、有利不利が生まれる原因、などのイメージがあり日本ではあまり良い顔のされにくいテーマであると思います。
ですが、結果としてお金が増えるかどうか、それによって勝ち組になる、とか結果が起こす作用にばかり目がいってしまい、
お金の性質や向き合い方について考えることはあまりされません。
ありのままのお金のことを考えるのは、思いの外素晴らしいことだと思っています。

お金の話を考えるというのは、ジャンジャン投資して金儲けして使ってうっはっは、という話ばかりではありません。
時間の感覚、対人関係などバランス感覚が必要とされる身近なテーマにも通じるものだと思います。

色んな考え方や捉え方があっていいと思います。
あくまで僕個人の体験を例として、考えを記載したいと思います。

長くなったのでChatGPTに1分要約してもらいました。

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このエッセイでは、起業家のお金に対する考え方や行動の変化について語られています。起業前は他人のお金を気軽に使う傾向があったが、自分の会社を経営することで、財務知識の重要性、資金の効率的な管理、そしてお金への責任感が高まったと述べています。また、消費と投資の違い、お金を使う際の慎重さと積極性のバランスの大切さについても触れています。全体的に、起業と経営が個人のお金に対する認識や態度に大きな影響を与えたことが強調されています。
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以下本文です。

■領収書を集める社長さん

備品や車、食事代と、あれもこれも経費で落とせるぞ、と会社のお金をバカバカと使う中小企業の社長(シャチョー)さんが目につくかもしれません。

サラリーマン時代、個人の経費は給与所得控除として一定額が勝手にみなしの経費として引かれて税額計算されるので、仕事をして生きている日々のコストのうち”経費”を分けて認識することはあまり多くありませんでした。
意識したとして医療費ぐらいでしょうか。

上記の社長さんのケースでは、交際費であったり、日頃使う備品や車を会社の費用や資産として計上する形がとれる(※)ために、
「個人の財布が傷まない」ことや、
「課税前の手元現金を自由に使える」ことに、
"お得さ"を感じているのかも知れません。

※会社の費用や資産に適切に計上されているかは実態によるため不明です

言われてみれば、会社員時代「会社のカネだから」と
割り当てられた予算で新しいソフトウェアを購入させてもらったり、評判の研修に参加させてもらったり、資格試験の受験料を出してもらったりという体験はとてもお得感のあることでした。
立場は違えど、会社のお金は個人のお財布が痛まず助かる、という点で、使うお金に対する考え方は同じ性質のようです。

前提として必要経費や、きちんと役に立つ生き金を使うことは問題全然良いと思います。そしてそれは主観的な側面もあるでしょう。

ですが、個人の財布が傷まないからと、お得だと感じてお金を使う感覚というのは、個人事業でもなく従業員がいる人だとすると個人的には違和感を持つようになりました。僕自身もはじめは自分のお金と会社のお金の区別が感覚的にはうまくつかない時期があり反省しています。

従業員の方の目線に立てば
”自分の財布”ではない、と会社の財布を扱う社長さんがいたらちょっと微妙な気持ちがするのは当たり前ですよね。
(ちなみに、会食等でお会計を負担する際、相手に負担をかけないために、経費で落とすので心配いりません、と言う方もいるので挙動だけみて決めつけることはできません)

自分で事業を持ち、対等に他の様々な社長さんと会話をしていく中で、
時折、事業内容や会社の規模等にしてお金を会社に残す方針が弱すぎたり、せっかく出た儲けに対するお金の使い方が雑すぎるのでは・・・というケースは目につくようになりました。

■”企業の財布と個人の財布”への感覚変化

企業活動で動く金額は、どうしても入りと出が大きくなります。
また、何に使うかについて、判断は裁量を持つ人の自由です。

裁量がある以上、使い方について株主でもない人から責められる謂れはありません。
責任の無い人になんと言われようが、自分で決めて良いのです。責任を取れる人が決めるしかないのですから。

ただ、個人の財布ではなく、使ったお金の"生き/死に"は会社全体の存続や成長に関わる話です。
自分がお金を使った結果、従業員や将来の時間を巻き込み、他者や環境など周囲へ影響が派生します。
お金の使い方を間違えると、自分が困るだけでなく、全体の流れを変える可能性があるということです。
非常に怖いものです。そのような状況では、合理がないと使えません。

身近な経験でいえば、
例えば会社に入ってくる人のためにPCや備品など数名分用意するのでも、100万円近くが先に出ていきます。
快適に仕事をしてもらうのに十分なスペックのPCをカートにいれ、なるべく大きなモニターや環境を用意するとどうしてもそうなります。
そして、生活資金と別に捻りだした数百万の資本金が入った銀行口座はみるみる残高を下げ、経営者の心を怪しく揺さぶっていきます。
パソコンの価格もモニタの価格も適正だとしても、思わず「高いなぁ・・・」と声に出てしまいます。

会社のお金が減り、費用がかかり、利益が減るぐらいなら、会社のお金じゃなく個人で出して、儲かったら回収したい、ぐらいに思います。(個人経費を法人で、法人経費を個人で、も両方ダメですが)

■カネは、先に出ていく

人を雇うだけでも、先に経費や備品などのお金は出ていき会社のお財布を傷ませると言う話をしました。
この使ったお金は、当然必要経費です。その分、みんなで働ける訳ですから、稼いで取り返すことになります。

当たり前のことを書いているようですが、
「カネは、基本的に先に出ていくのだ」ということを身をもって体感します。価値が出るのは後です。先立つものがなければ得るものもない訳ですが、得られるか保証されずにお金を使うのは当たり前であり、受け入れなければいけません。

思えば個人においても、量販店で電子レンジを買ったり、100均でクリアファイルを買ったりするにも、お金を払ってから使うまではラグがあります。
例外はありますが、多くの場合、商品やサービスを受け取る前に、お金は先にロックされるか支払いをさせられます。
あと払い、で通せる取り引きはそれだけで相対的におトクな訳です。
日常的に我々はお金を使いますが、その際リスクを先にとっています。
これは原則ですので、会社のお金だろうが自分のお金だろうが同じはずです。立場やお財布が変わればケチになったり緩くなったりするのはスタンスとしてブレていると認識するべきでしょう。

さらに、対法人の取り引きにおいては、売掛金という通例があります。
基本的には、売り手側の方が先にお金を負担してサービスを提供します。対価は後です。

商品やサービスを売っては顧客からの入金を待たされ、稼ぐために仕入れては先に払う、ということになりやすいため、必然、入出金のスケジュールにも意識を集中することになります。(スタートアップ同士の協業ではこの辺り違いに配慮しあって契約できる相手を選びます)

必要経費をかけ、”当たり前の便益を受けるだけ”でも、"カネは先に払う必要がある"、という短期的な不利が生まれるというのは、改めて認識しておくべきこと思い知らされます。取引によってはお金が先に出る、という原則を覆す方が適切なことだってあるのですが、お金に向き合っていなければそれすら発想できません。

■”釣り合う”とはなんだろうか?

当たり前に対価を受け取ったり、商品を買って受け取るだけでも、先立つものが必要だという感覚がはっきりとし、"投資"に関する考え方も変わりました。

先ほどの量販店や100均の例について、不良品であれば交換や返金もあるでしょうが労力は返ってきません。

お金は価値の単位として非常に扱い易いですが、かけたお金が戻ってきたとて、それが釣り合うのか?は購買者の考え方、向き合い方によります。
不良品をリスクとして許容していれば、返金されればラッキーと思うことができます。
そうでなければクレームです。但し、折り合わなければ後日責任者と話したり、さらに感情的になったりと追加のコストがかかります。

回収しようとすればするほどコストがかかったように感じて取り返したい回収額も増えます、キリがありません。多くの取引において、泣き寝入りが合理的です。これは理解しておく必要があります。

価値の交換権としてのお金と、実際の価値、これらが“釣り合う”というケースは、果たして存在するのでしょうか。
"釣り合う"というのは一体何なのでしょうか。

■”貸し借り”の肌感を大事にする

個人の買い物の話ではなく、事業における投資に話を戻します。
投資というと、先行的にお金(リソース)を投入し、損益分岐を超えるラインを超えると際限なく儲け幅が広がるグラフをイメージしがちです。
僕も事業企画や営業時代に腐る程扱いましたし、そのロジックを使ってプレゼンをすることは多くありました。

ですが、損益分岐の交差するグラフにおける一体どのあたりを目指すのが適切なのでしょうか?
儲かれば儲かるだけ良い、回収すればするほど良い、のかもしれませんが現実的なのでしょうか?
最終的に、これぐらい投資をかけて、これぐらい儲かる、という算段を立ててキャッシュアウトを意思決定する訳ですがここには、損得の多寡では決めきれない"点"を打つ感覚が求められます。

その観点で、僕は払ったお金に対しての儲けを考える損得勘定というよりも、釣り合う・バランスさせる感覚がしっくりきました。

何をするにも、”トントンになる点”を考え、それを究極のゴールとするイメージです。
“トントン”は投資金額に対して利益0のことではなく、払ったものと成果が釣り合う感覚です。

相場のような相対金額だけの判断、投資額という絶対金額だけの判断はしません。お金で測れない価値を含めて釣り合うか?といったことを考えます。

客観をベースに構築した主観のようなものなので言葉で説明しづらい感覚です。

ただ、子供時代から今にかけ、友人や仕事仲間との間で、契約や金額では測れない”貸し借り"のようなものは経験があると思いますが、その感覚に近いです。この貸し借りが合わなければ人が離れたり、喧嘩になったりします。

一方の負けるやりとり、一方の勝ちすぎる関係は長続きしません。
ウハウハに儲かってるように見えても、きっと見えないコストを見落としていて持続性がないケースが多く、不満を買うなど負債を溜め込んでいたりします。
また、譲りすぎて不利な取引を続けても、自分や身内の仲間を苦しめて破綻します。

この”貸し借り”のような、払いと成果の交換関係をきちんと意識することによって、価値観の異なる相手とは互いに安全に距離を置き、折り合えるパートナを見つけ密接に強い関係性を作ることができます。
大事なのはペイさせること、釣り合わせるのを目的化して過度に交渉や調整や譲歩をしないことです。

「高い(相場や相手の予算に対して)」と言ってくる人の要求に合わせるのも、
逆に「こんなにしてあげたのに(感謝や対価が少ない)という」と不満を言ったり対価の要求をしてくる人に合わせるのはよくありません。
合わせるとしても、自分の物差しと相談して自分自身の考えを直せるとしたらどこまでか、ということです。

安かろう悪かろう、はよく知られる釣り合いの概念だと思いますが、一面でしかなく全てではありません。
一定の客観性に加えて、互いの主観がぶつかった摩擦の中で、良い相手を見つけ、関係が成立するのだと思います。

■消費と投資の違い、について

お金を有意義に使う、というテーマを話すと、消費ではなく投資が大事、というような話がよく挙がりますが両者の違いについてはなんとなくイメージで捉えていました。

今は、消費と投資で異なるのは"考え抜く"という点だと思うようになりました。

勿論消費は使って出ていくだけ、投資はその後リターンがあるというような表面上の理解はあります。

ただ、将来の稼ぎのために使ったという論理があっても結果が伴わなければ消費と大差ありません。研究開発にしろ販促費にしろこの辺りを区別するのは意外に難しいことが多くあります。

投資に失敗した際、高い勉強代、という言葉を使われることがあります。
これは今後の学びというということで結論を先送りにし、浪費を投資として正当化する詭弁の側面があります。僕自身も適宜その詭弁を使うことがあります。

きちんと考えるのが良い悪いという話ではなく、
結局のところ"結果が消費と投資を分ける"ということです。
そして結果というのは未来のどこかの時点であり、1年後かもしれないし10年後かもしれません。評価するタイミングによってはリターンが無かったと判断されるか、あったと判断されるか変わります。

だとすれば、投資と消費には、価値・リターンの有無は活動表面上実はあまり違いはありません。

価値の話だけでいえば、妻が買い揃えてくれる日用品でも、息子との買い食いでも、これは投資的だと感じることは多くあります。(一般的に消費と呼ばれるものだと思います。)

投資と消費の違いが仮に、結果に左右され、結果を評価するタイミングによって変化し、お金を使うという点で表面的な活動上は大きな違いが無いとすると
「消費と投資の違いは何か?」というのは
あまり意味のある問いではないように思いました。

敢えて、過去自分の使ったお金を振り返って何かそれらしい違いを挙げるならば「使うお金に対して、その生き死にをどれだけ考え抜けたかどうか?」
という点が妥当だろうと思いました。

"大きな意味も無く、考え浅くしてお金を使うこと"
が消費らしさであり、
“払いに対する価値の生き死にをよりしっかり考え抜いてお金を使うこと”
が投資らしさであるとすると、
私たちは投資でも消費でもない、随分と曖昧な活動を日々しているのかもしれません。

■積極的にお金を使えるようにする

いつも一々時間をかけ、考え抜いて、お金を使うようだと当然のことながらガチガチで何もできなくなります。
考え抜くべきだし大事に使うべきですが、その上で、積極的に使う必要があります。

使うためのコストが高すぎて、判断しない方が合理的になったり
行き過ぎた倹約と慎重は働く側にとっての息苦しさにもなります。

自己資本での創業から、組織も事業規模も小さいアーリーステージまではそもそも動かせるお金もまだ少ないので、さほど判断する機会もなく構わないかもしれませんが、そのままだと個人事業の延長から広がりません。

ある程度はリスクを許容して積極的にお金を出入りさせることも必要です。
そして、逆説的ですが、お金について考え、使うハードルを下げるためには、お金を確保することだと考えるようになりました。

当たり前の話ですが、なけなしのカネでは、失敗した時に勉強代などと言ってられませんし、、必要な投資だと思って何かにお金を使おうにも資金が途中で尽きることが分かっているなら投資の意味を為しません。
先立つ原資や期待できる収益が確保できていれば走り続けることができます。

このために、”事業で稼ぐ”と”調達”を両面で考えます。

事業で稼ぐ、は投資分を走りながら回収するために重要です。
ですが、利益を大きくしようと、大きな額の取り引きを目指すと、売り上げをあげるために大きな仕入れが立て込んだり、納品と入金時期が遠くなって、むしろ手元資金が一気に出ていきショートします。
あまり極端なことはできません。売掛金と買掛金、キャッシュ余力をきっちり管理して堅調に広げていくことになります。

調達(融資や投資)、は既存事業の拡大を急加速したり、新規事業を行うなど、非連続の活動を行う際に重要です。
ただ、経営者自身ですら自社のお金を使うのは怖いのに、第三者に説明して当面の余力を預けてもらうのは難しいものです。
この時、きちんと日々お金に向き合い、事業計画と進捗をまとめ、財務基盤を堅調に守って経営していれば、資料と財務諸表の形で説明することができます。
過去と数字は嘘をつきませんし共通のルールで読むことができます。お金を預けるに足る人物なのか判断してもらうのに効率的なコミュニケーションツールです。

投資や融資を受けようとしてはじめて事業計画をつくったり財務を振り返るというよりも、日々会社のお金の使い方に悩んで経営していたら自然と作っていた、という感じになります。

■結局自分のお金を気楽に使うのが一番の贅沢

冒頭の「起業や経営をして変化したことはありますか?」に戻ります。
経営をすることで、以下のような価値観や行動の変化が生まれました。

・会社のお金を使う難しさ
・相場や金額だけでなく、お金と価値の釣り合い、を考える感覚
・使う時は自分なりの論理を考え抜いて使う習慣
・お金を使うためにお金を整えるというステップ

動かすお金は私生活と比べて桁違いに大きいため管理は粗くなってしまいがちに思えますが、経営をすることで、より丁寧に考えて向き合っていくことができるようになります。
それは事業やビジネスを考える視点を増やしてくれる面があります。

また、その反動なのか私生活では

・いい香りに誘われて初めて入ったカフェでパンを買うこと
・雑貨屋さんでちょっとした衝動買いをすること
・飲食店で目にバッと入ってきたメニューを食べること

こうした気軽な消費に、これまで以上にとても幸せを感じられるようになりました。高い金額のものを買う、ということよりも、日常的にいいなと思ってお金を使う瞬間が一々楽しいです。

そんなこんなで、個人のお金の範囲で、誰にも気を使わず、リターンもあるんだかないんだか分からない気の向くことに消費してみるのが今は一番の贅沢だと思うようになりました。

自分の機嫌がとれて元気に仕事に向かえるのであれば、これは消費ではなく投資といえるかもしれません。
(オチが弱い文章になってしまいました。)


p.s.一旦の仕事納めが済んで、好きなだけ文字がかけるのが嬉しくて書きすぎてしまいます・・・好き勝手に文章を書くのは贅沢です。

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