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志磨遼平というペテン師を知っているか

邦ロックを好きで聞いている人であれば、恐らく名前くらいは知っているという人が多いのではないだろうか。今の日本のロックシーンには、志磨遼平という男がいる。
彼は2003年に毛皮のマリーズを結成。パートはボーカル。勢いよくその知名度を上げ、2011年をもって毛皮のマリーズは解散。2012年にはすぐさま新たなバンド、ドレスコーズを結成。2014年をもってバンドメンバーは全員脱退したが、以降も志磨遼平のソロプロジェクトとして現在もなお活動を続けている。

毛皮のマリーズの名前をよく聞くようになったのは、僕が大学生の頃、今から10年前くらいだった様に思える。当時僕の親友も熱狂的に聞いており、彼の家にはサイン入りのTシャツが飾ってあったことを覚えている。
その影響もあり僕も聞いてはいたが、僕が本気で志摩遼平と向き合ったのは、まさしくドレスコーズとしての彼の活動であった。

僕にとって志摩遼平は、世紀のペテン師であり、自分と同じ時代を生きてくれている、リアルタイムのロックンロールスターである。

☆☆☆

2013年、僕は大学を卒業し社会人1年目として働いていた。
会社の意向で地元札幌に配属になった僕は、大学の友達と離れ、忙しさから緩やかに大好きだったはずの音楽とも疎遠になっていた様に思う。
そんな2013年11月、ドレスコーズは2ndアルバム、「バンド・デシネ」をリリースする。

この、ゴッホという曲で、僕は完全に持って行かれた。なんなんだこのイントロは。めちゃくちゃにこちら側までぶっ刺しに来たような叫びは。めちゃくちゃに自由な様でしっかりとまとまったドラムとボーカルは。もうこれは言葉で伝えるようなことではなく、ただただ「かっこいい」それにつきた。

そして、イントロの渾身の叫びが終わった途端、誰もが一度聴いたら歌えるような聞きやすいメロディーで曲が続いていく。入口で全力でぶん殴りに来ておいて、急に優しいメロディーが始まるのだ。言葉も優しい。ピンボーカルで堂々と歌いあげる彼を見た時、僕は、僕がロックにのめり込むドアとなったブルーハーツを思い出していた。

ああ 時計はまわってごまかすんだよ
終わりなんてない顔をして
ねえ死ぬとか今は信じられないけど
ずっと離さない 何がおきても
ぼくがいなくて困る人なんか
いない、とも毎朝思う
ぼくはゴッホじゃやなんだ
やっぱりゴッホじゃやなんだ
(ゴッホ/ドレスコーズ)

物凄く全力のラブソングだ。男の子が、女の子を大切にしたいと叫んでいる。まぎれもなくロックスターとして、ヒーローとして生きていこうとしている男の子が、好きなあの子が好きで好きでしょうがないと、少し情けない様な言葉を選んで歌っている。

それがいい。それでいいんだと思った。反骨精神の象徴でなければいけないかの様なイメージのあるロックスターが、孤独は嫌だ、あの子を一生離さないと堂々と歌い上げる、それがロックだ。「こうあるべき」、「これがかっこいい」、そんなのはロックとは正反対の価値観だ。そしてそれを、えげつないくらいギラギラしたイントロを持ってきておいて、ポップスといってもいい様なシンプルで綺麗なメロディーで歌い上げていること、それがまた最高なんだ。好きを好きと言う、そのシンプルなかっこよさに僕は完全に持って行かれた。

そして僕は、ドレスコーズを聞き漁るようになった。

★★★

それから2年後の2015年、営業職で働き、職場のド詰めに疲弊しきっていた僕だが、それでも音楽は良く聞いていた。むしろ音楽だけが僕の救いだった。

そんな中で「Tour 2015 Don't Trust Ryohei Shima JAPAN TOUR」が発表された。直感的に、今の自分に必要だなと思ってチケットを買った。しかもサポートドラマーは僕が一番敬愛するドラマーである中村達也(ex.Blankey Jet City etc...)だった。まさに行くことが決まっていたかの様なライブだった。

僕は、12月6日の札幌cube garden公演のチケットを買った。

ライブはもう、期待をはるかに超えるくらい、めちゃくちゃにかっこよかった。中村達也のドラムは相変わらずに心臓に差し込んでくるかの様なスネアを叩き込んでくるし、ベースもギターも、サポートメンバーとは思えない様な一体感ある演奏を見せつけていた。

その中で。その、すべてが主役でもおかしくない様なバンドの中で、志摩遼平は堂々と歌い上げていた。背の高い彼の存在感は尋常ではなく、その場に存在する全てが彼のためにあるかの様に、彼はど真ん中で叫び続けていた。バンドメンバーも、照明も、僕を含む観客も、全ては彼のために存在している。彼が1曲1曲心をこめて歌い上げ、MCで心情を僕らに共有する。その度に僕は強くそう思った。

ライブの終盤、彼はマリーズ時代の代表曲、「ビューティフル」を歌った。僕がマリーズで一番好きな曲だった。彼は歌いながら、客席に舞い降りた。観客に自分の両足を持たせ、観客席の人の上に立ちながら、ビューティフルを歌い上げた。

そして私は私より私と
よぶべきガールと恋に落ち
なぜだか涙が止まらない
これが正義じゃなくてなんなのだ?
ビューティフルに ビューティフルに
生きて 死ぬ、ための 僕らの人生、人生!
(ビューティフル/毛皮のマリーズ)

観客は、熱狂していた。中心にそびえ立つ志摩遼平に向って、一つになっていた。踊り狂う人、拳を振り上げる人、僕みたいに後ろで棒立ちになっている人、全員が、一人の男を崇拝していた。それはもはや宗教だった。僕らの人生は、ビューティフルに生きて、死ぬためにある。彼がそうあろうとしている様に。生きるとは、そういうことなのだ。皆、そう思っていたと思う。

☆☆☆

志摩遼平は、一つ一つ、大事に歌い上げていた。客を煽る時も、自分の気持ちを打ち明けるかの様に話しかけてくれる時も、一つ一つ、目線の配り方、両手の動き、声の張り上げ方、全てを使って、彼がロックスターであることを表現していた。ロックンロールは基本的には馬鹿正直なものだ。彼の心の底から絞り出された言葉として、僕ら観客の耳には飛び込んでいた。

だが。全ては僕らが心からそう信じられる様に、彼の中で緻密に積み上げられた偉大なるSHOWだった気もしている。僕はもう、彼は今を走り抜け続けるロックスターだと思っているし、彼の言葉は全て素直に受け入れてしまうだろう。

そう思わせてくれたのだ。僕が彼について何かを思う度、彼は僕にそう思わせたくて、そう思わせる様なふるまいをしていたのだ、とも同時に思っている。志摩遼平の手の平の上で、きっと僕は未だに夢を見続けているのだ。それは全て、彼の筋書き通りなのかもしれない。


アンコールの最後の曲は、「愛に気をつけてね」だった。ロックンロールはいつだって、誰かの何かに対する愛を歌い続けている。それを貫いている志摩遼平のことを、僕は愛している。

でもそれは、全部彼の筋書き通りなのかもしれない。全てはペテン師志摩遼平のシナリオの中に最初から描かれていて、僕は彼が台本に書いた通り、彼のことを心酔しているのかもしれない。自分の中の愛が、自分の感情から生れ出た愛なのか、彼が準備していた愛なのか、僕にはもうよくわからない。

ブルーハーツで音楽に出会い、Blankey Jet CityやThee Michelle Gun Elephantを聞きながら育ってきた僕にとって、偉大なるロックバンドは殆ど解散してしまっていた。でも、彼は。志摩遼平は、今なのだ。現代のロックンロールスターとして彼は僕に愛を与え続けてくれている。

全てが彼の手の平の上のことだとしても、僕は心から、彼を愛している。



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