救われてくれたことに、救われている

言葉は、誰のためにあるのだろうか。
今僕の目の前で転んだ人がいたとして、大丈夫ですか?と声をかける。きっとそれは、目の前のその人のために声をかけている。職場で後輩が仕事を進めていいかわからずまごまごとしていた時、こうしたら?と声をかけたりもした。その時もきっと、僕は彼のために声をかけている。
じゃあ、目の前で大切な人達が何かに困って途方にくれていた時、
何があったの?大丈夫?と声をかける時、は?

僕は、僕のために人に言葉をかけていると、もう随分前から気づいている。

★★★

どうにも昔から自己肯定感という物が低く育ってきた。あまり生い立ちを理由に性格を語るのは好きではないのだけど、元々あらゆることが不器用で苦手だったうえ、親にあなたは勉強以外のことはどうせ出来ないんだからやっても無意味だと言われ続けてきたり、友達が少なくて人に好かれたいと思っていた時期が長かったり、そういうことも相まって作られてきた人間性なのだろう。
高校生になる辺りからバンドにはまったことがきっかけで段々と友人も増え、今ではそれに悩むこともあまりなくなった(というか、本当に友人に恵まれる人生を送れていると今では自信に満ち溢れている)。
ただ、僕が今どれ程幸せかどうかとは別の次元の話として、子供の頃に培った人間性は、薄れることはあっても完全に消えることはない。少しダウンな気持ちになった時、家族に会って話さなければならない時、ふとした瞬間にそうした人格は顔を出してくる。

素敵な友人が出来れば出来る程、その人達と一緒にいる時間が楽しければ楽しい程、「それに比べて僕には何もない」、そんな思いが頭をよぎってしまう。そんな時期があった。
結構昔からそうなのだ。これは今でも不思議なのだけど、何故それ程素敵な人達が自分に構ってくれるのか未だに僕はよくわかっていない。

自己肯定感が低い人間がこうなるとどうなるかというと、めちゃくちゃに不安になる。自分の中に何もないから、何故そばにいてくれるかわからないのだ。つまりいついなくなってもおかしくないのだ。でも僕は何としてでも仲良くしていたい。でも自分の中には何もないと思っている。そんな風に考えている様な僕に出来ることは、聞くことと話すこと、ただそれだけだった。大好きな人達が何かに悩んでいる時、とにかく何かをしたくて、でも出来ることはそれだけで。僕は自分のために、人に声をかけ続けた。

☆☆☆

なんとも身勝手で情けない話を書いたが、別に僕はこうした自分の人間性に悩んでいるわけではない。いや確かに、本心から相手のことを思えていない自分の狭量さにうんざりした時期もあったのだが、今では気にしていない。
そもそも、他人の気持ちをわかるよなんて、どうしたってエゴだ。そりゃわかる部分だってあるけれど、他人はどこまでいっても他人なのだ。相手のことを好きだから、辛そうな時に何か楽になってほしいなと本心から思って話しかけていようが、それは僕が相手に対して思うエゴでしかないのだ。我が強い僕にとっては、それが紛れもなく真実だった。僕はどこまで言っても、最終的に自分のために生きているという事実から逃げられないのだ。

逃げられないのであれば、そうした自分と向き合った上で人に何かを伝えられるようにするしかない。そういう風に考える中で、僕は人の相談に乗る時に一つだけ自分に絶対的なルールを敷いている。

自分のエゴで人に言葉をかけているのだから、どんな反応があろうと絶対にそれを受け止めること。

これだけだ。この一つだけを徹底することにしている。なんでわかってくれないの、なんてもう最悪だ。自分がなまじ救われたくて勝手にやっているようなことで相手に期待するなんて、あってはならないことだと思っている。
感情的には、そんな想いが浮かぶことも正直ある。でも、僕は理性でそれを絶対に許さない。僕にとって相手のためを思うとは、そういうことなのだ。何かを返してほしいと勝手に思って声をかけている以上、何かが返ってくると期待してはいけないと思っている。それが、人と向き合う上での誠実さだと、身勝手に生きる僕はそう思っている。

そんなルールを敷きながら僕は大切な人と話しているわけなのだけど、僕の何かしらかが相手にひっかかりお礼を言われた時、心の中ではもういつでも泣きそうになっている。その時に救われてるのは間違いなくあなたより僕なのだ。あなたのおかげで、僕はまた少しだけ自分の中の何かを信じられるようになるんだ。本当にありがとう。都度そう思って深く感謝をしている。そしてまた、好きな人に何かがあったら、僕は声をかけようと思うのだ。

★★★

言葉は、いつどこで何が響くかわからない。僕が頭を悩ませた捻り出した言葉より、ふと何も考えず出てきた一言が何か相手に響いていたり。ずっと聞いていた曲の歌詞がある日飛び込んできたり。いつだって不確実だ。
そんなことを考えながら話をしているので、毎回出てくる言葉は違うのだけど。そしてそれがなんであれ救われているのは僕の方なのだけど。

二つだけ、僕が誰と話していても浮かぶ言葉があって。
「自分を大事にしない考え方はやめろ」
「あなたは幸せになるべき人だから」

この二つだけは、目の前で好きな人が苦しんでいる時に必ず僕の口から出てくる。
きっとこれは、目の前のあなたが大好きで、そんな好きな人にとっての何がでいたがるというエゴで話しかけてる僕にとって、本当に心の底から出てくる言葉なんだろうなと、随分前から思っている。目の前のあなたが幸せじゃないのは、何があっても僕は嫌なのだ。 死ぬ気で思っている。


自分のために生きていても、誰かに何かが届くこともあるし、そのおかげで自分を好きになることもできる。
だから僕はこれからも、自分が幸せになるために、目の前のあなたの幸せを本気で願いに行く。


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