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しあわせのその日に ひとはなぜ震えて泣く


2020年3月8日、恵比寿にて式を挙げてきました。

めちゃくちゃ楽しかったなあと、正直言葉にしてしまえばそれだけな気もする様な一日だった。あっという間だった。

準備してる時から当日を思うとすぐ涙ぐんでしまう様な状況で、前の日に不意打ちで友人から温かい言葉をもらったり、もう耐えられないであろうことはみえていたんだけど、まあやっぱり最後までは耐えられなかった。

そもそも無理だったのだ。控室にいる時に挙式場から聞こえてきた1001のバイオリンのリハ演奏だけでもう涙くんでいたし、頑張って泣かない様にニヤニヤしてたのに式場に入って振り返った瞬間に大好きな友達がもう泣いてるし、しかも一人じゃなかった。
あと、嫁さんがとても綺麗だった。それが一番大きかったとは思うのだ。

そもそもなんで泣くんだろう。わからない。感極まるという言葉通りなんだろうけど、それがどんな感情であれ人は処理しきれないときに泣くんだろうな。
全然上手くしゃべれなくて、披露宴の最後ただ泣いてしまったんだけど。ほんとは二次会とかでも言おうと思ってた言葉も色々あったけど、何も言えなかったな。でもやっぱり、「人に生かされている」という言葉に全ては戻ってきてしまうのだ。僕は結局、いつでもそうだ。

☆☆☆

「自分ではどうしようもならないこと」に苦しめられていた時代のある人間で、だからこそ理不尽は嫌いだし、世の中に中指を立てるロックスターに憧れてきた。好きな人達の特徴は全て「自分で一つずつ納得して意思決定をしているか」ということに集約されるし、自分で決めたことであれば後悔はしない生き方をしてきた。
それほどまでに「自分で」という言葉に拘り続けてきたのに、どうしたって、自分ではどうしようもない、周りにいてくれる人達の力で自分が幸せな気持ちになっていることに、気づいてしまった。

勿論もう大人になると、優しい人達が「それはあなたがそうやって生きてきたからだよ」と言ってくれることを僕はもう知っている。僕だって友人がそんなことを言っていたらそう伝えるだろう。
でも僕にはどうしてもそうは思えないのだ。全部、みんなのおかげだとしか思えないのだ。貰ってばかりで、ごめんねありがとうって、そうとしか思えないのだ。

☆☆☆

嫁さんの姿を見た瞬間に、親が感極まって泣いていた。
それを見て僕も酷く泣きそうになった。
そうした感情に直面した時、数年前に高校の友人に言われた「だからお前は結局(親を)許したいんだろ?」という言葉がぐるぐると頭の中をよぎる。
それについて言うのであれば、許したいわけじゃないのだと思う。そもそも、既に許しているのだと思う。
きっと、許せないままでいることは僕にはできないのだろう。
ただ、普通に迷惑をかけられ続けていることは十分すぎるほどあったので、距離は取りたいという想いも本当なのだと思う。
丁度いいところを探していければいいなと思ってるけど、多分そっちでそれはやってくれよ、というのが一番僕の本音の気持ちな気がする。

☆☆☆

大好きな友人に、大好きなウェディングソングを歌ってもらった。
僕は昔、大好きな友人の式に行った際、「ウェディング・ソングそのものの気持ちになりました」とコメントを残していた。式中のすべての感情が詰め込まれている曲だと思う。
足元の世の中の騒ぎの中でキャンセルもそれなりに相次いだことも相まって、響いたなあ。

自分を一言で表すなら、僕は「愛」の人なんだと思います。
もちろん周りの人のおかげでね。

ありがとうございました。


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