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【国際結婚】アメリカへ流れ着いた男の末路

自己紹介欄のところにさらっと書いているが、実は僕はアメリカ人と結婚してから数年後にアメリカへ移住するまで、米国はおろか南北を合わせたアメリカ大陸そのものに足を踏み入れたことすらなかった。そもそもアメリカ人と結婚すること自体いわば想定外の出来事で、人生全く何があるか分からないなと何かに付けて思ってしまう。

けれども、海外そのものに全く関心がなかったのかと聞かれれば、決してそういうわけではない。大学進学後に某欧州言語と中国語学習にハマり、大学の専攻そっちのけで海外というものに夢中になった。大学卒業後はヨーロッパ移住を成功させようと新卒カードを放棄してまで海外を夢見た元海外かぶれ(あるいは欧州留学崩れ)である。

詳細には触れないが、大学を出てから紆余曲折を経て欧州大陸の某国にて学生生活を始めるものの、その後不本意な形で日本へ帰国することとなった。そして、帰国後しばらくしてからデートを始めたのが今の妻である。

日本へ帰国した直後は、今すぐヨーロッパへ戻りたいと不満タラタラであったが、彼女との交際が始まり多くの時間を一緒に過ごすようになってからは、日本での生活もすっかり居心地のいいものへと変わっていった。かつての海外暮らしを懐かしむ感情は、心のどこかに依然として残っていたが、帰国直後のような切迫感を伴うものではなくなっていった。

交際が始まってから数年後に僕らは入籍した。コロナ禍であったため、彼女の両親へ直接挨拶をしたり、式を挙げたりなどはできなかったが、日本での生活自体は概ね安定していた。というのも当時の僕は団体職員として働いていており、社会的な信用度がとても高い組織だったため、たとえば住居や車の購入となれば問題無くローン審査に通る経済的信用を得ていた。残業は殆どなく、有休消化100%が基本、民間ではないので倒産する心配もなく定年までの生活が保障されていた。新卒就活をしなかったことを考えれば、こうした安定を手に入れられたのは奇跡と言っても過言ではないだろう。

けれども何一つ問題がなかったわけではない。僕の妻は日本語が話せなかったため、就ける仕事に限りがあった。英語圏出身であることから、自ずと英語教師かインターの先生の2択になるが、日本の教育業界は基本的に労働環境も給与面もあまり恵まれていない。そして何より英語教育は彼女の考えるキャリアパスとは一致していなかった。

最終的に、僕らは彼女の母国であるアメリカへ移ることになった。20代の頃の海外暮らしを忘れきれなかった僕にとっても、これは悪くない選択に感じられた。また、日本で安定した生活を手に入れた一方で、同時に人生の上限が見えてしまったことにひどく退屈を覚えていた僕には、新しい国へ行くことは魅力的に映ったのだ。

アメリカ生活、それは彼女にとっては数年ぶりの母国での暮らしであったが、僕には全くもって未知の国での生活であった。アメリカ生活に関する知識といえば、シンプソンズやマルコム・イン・ザ・ミドルから得られる以上のものは何一つ持ち合わせていなかった。

それでも元ヨーロッパかぶれである僕は最初、北米も欧州と同じ西洋であるから、現地での生活に慣れるのにそこまで時間はかからないだろうと高を括っていた。ヨーロッパ人と接する時と同じように彼らと接すれば、コミュニケーション上の問題は特に発生しないだろうと思っていた。いやもっと正確に言えば、西洋人を名乗るのであれば、アメリカ人は欧州人のように振舞うべきだとすら無意識のうちに考えていたのだ。

北米と欧州の両方に住んだ経験がある人は知っていると思うが、両者は似て非なるものだ。北米人の土台は確かにヨーロッパ由来かもしれない。けれども彼らは、欧州という土台の上に無限大の増築をひたすら繰り返した存在である。

北米人の思考回路や習慣は、非西洋圏の影響を相当程度受けているように見受けられる。例えば、アメリカ人はレストランなど食事の席でかなり大声で話したりと、とにかくやかましい。これは欧州では(もちろん国にもよるが)基本的にマナー違反である。実際にヨーロッパにいたとき、レストランやカフェで大騒ぎするアメリカ人観光客を現地民が眉を顰めて眺めるのは日常的な光景だった。

東アジア人は公共の場では比較的静かな一方で、食事の席やお茶の時になると割にガヤガヤしがちだが、もしかしたら東アジアや他地域の習慣が北米に移った結果なのかもしれない。

また、北米人は欧州人ほどスモールトークに時間を割かない傾向がある。要するにビジネスライクな印象を受けるのだ。ヨーロッパであれば、how are you?の定型挨拶の後に、本題ではない話題を10分以上平気でダラダラと話したりするが、北米人はhow are you?と相手に聞き返すことすらあまりせず、すぐに本題へ移るのだ。

他に驚いたことと言えば、北米人は案外自分の意見を言わない点だろう。つまるところ、徹底的に当たり障りのない事しか言いたがらないのだ。ヨーロッパ人は世間話であっても政治や文化などについて、行けると思えば躊躇なく話すが、アメリカ人はその手の話題をなるべく避ける。とにかく無難な話題をあたかも楽しそうに引き伸ばしてニコニコ話す。これは日本人の感覚と近いのかもしれない。

このようにして、ヨーロッパ仕込みの振る舞いをそのままアメリカで適用しようとした僕の試みは呆気なく失敗した。けれどもそれは必ずしも悪いことではなかった。

際限なく続くヨーロッパ人のスモールトークは、時たま僕を疲れさせていたし、世間話の際に政治や文化について彼らが話せていたのも、そもそも彼らの考え方や文化の同一性が割に高いからこそ可能になっていたもので、彼らの「意見」の中身はどれも似たり寄ったりで退屈だった。

また、今振り返ってみると、ヨーロッパでの生活はいわゆるマイクロアグレッションに溢れかえっていたと思う。当時は当たり前になり過ぎて気に留めることすらなかったが、北米ならキャンセルされかねない扱いを僕はそれなりに受けていたはずだ。北米での生活のほうが、マイノリティとして生きる僕にとっては全般的に快適だと思う。今再びヨーロッパに移ったとして、そうした彼らの無知に耐えられるか定かではない。

北米生活は悪くないと感じ始めてから、僕はようやくヨーロッパかぶれを卒業することとなった。冷静に考えれば欧州での生活は数年に満たず、しかも既に5年以上も昔の話だ。そこで身につけた習慣や態度はもはや時代遅れのはずだし、そもそも数年間で得た理解が正しいものだったかも怪しい。

iPhoneの英語キーボードも、UK式からUS式に切り替えた。はじめは英語の綴りをcolorなどと書くアメリカ人に我慢ならなかったが、今では彼らと同じ綴りで書くのが当たり前となった。英語の発音も彼らのものに寄せ始めた。

レストランでの自身の声量、英語の綴り、英語の発音、どれか一つとってみても昔の自分とは異なっている。ふとした瞬間にそれに気がつき、そして今の自分もまあ悪くないと感じる。要するに、北米での生活がそれなりに気に入ってやまないのだ。

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