承認欲求についてとことん書いてみる
承認欲求、というものは誰しもがあるものだと思うし、あるからこそSNSが成り立つのだとも思う。かくいう私も、承認欲求はすこぶる強く、常に誰かに認められたくて足掻いている気がする。
認められたいし、見てもらいたいし、知ってもらいたいし、何よりも愛されたい。そんなの、人間のあたりまえの欲望なのに、なぜかその欲望を認めるのが恥ずかしい。恥ずかしいけれど、ここに書く。私は承認欲求があるということを。それも、人一倍。
さて、承認欲求があるとは言ったが、私は周りに承認されるだけの能力をそこまで持ち合わせていない。人より少し勉強ができるくらい、人より少しコミュニケーション能力があるくらい。ほんと、それくらいしか能力ないんじゃないか?
あるとすれば、感受性の豊かさ。
それゆえ、私はその感受性の豊かさを武器にたくさんの同性の友達の心を掴んだし、「よんりしか話せない」「よんりほど愛情深い人はいない」「よんりが一番好き」という、超モテモテな言葉を浴びるように言われる人生を送れた。
なぜか私を「一番の親友」と公言してくれる親友が複数人いるのは、きっと私の感受性の豊かさゆえの共感力や愛情深さが生み出した賜物なんだろう。私はそれを誇りに思うし、彼女たちの存在が私を生かしていると言っても過言ではない。知らず知らずのうちに、私の溢れんばかりの承認欲求を満たしてくれたのは、愛すべき親友たちなのかもしれない。
じゃあ、同世代の女の子たち(主に私の周りにいる友達)からは愛されているとして、男からは愛されているのだろうか。
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梶原が書くディープな世界
「え?そんなことも書くの?」と言ってしまいたくなるような記事の集い。居酒屋で親友と会話するような感覚で書きます。
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