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プラトンとリンゴのハイチュウ。そして、リップをなくして少し不機嫌な女が「言葉」に宛てて書いたヘヴィなラブレター。

にきびができればテンションが下がる。
そして大人になると、ニキビと言わずに吹き出物と言うようになる。らしい。
久しぶりの吹き出物、しかも頰に大きなものができたとなれば、テンションは当社比で40%程落ちる。

それだけじゃない。

頬の毛穴が目立ってるとそれだけで引け目を感じる。
ファンデーションのノリがやや良くない。
アイラインが曲がった。
唇がいつもより、ややカサカサ。
つけようと思っていたお気に入りの香水が今日に限って何故か行方不明。
かばんの中でリップの消息が途絶えた。

普段はあんまり女が女がって言う方ではないけれど、そんな自分でも、女とはそういうものなんだと言いたくなる。

もちろん、上に書いた事柄の中には男性陣に当てはまるものもあるかもしれない。もっと言えば、世の中は男と女で分けられるほど単純ではなく、いろんな人たちがいる。「男」と「女」を取り上げても、この2種類で人を分類するという仕組みは、今となっては不完全だ(ちなみにタイには性別の表し方は細分化すると18通りあるんだって。すごい。)国境だって人間が引いたものだ。本質的にそのラインの手前と向こう側に違いなんてないじゃないか。そんな言説もある。

それでも、わたしは「言葉を与える」という行為が尊いと思う。「言葉」の引くラインは、国境と少し違う。このラインは、尊いものだと思う。
何故かというと、言葉は「誰かが自分の気持ちや意思を伝えようとした痕跡」だからだ。

学生の頃、言語学系の授業を受けていた。
その時に「言葉は、人々が世界をどのように認識するのかを表しているんだ」という話題があることを知った。例えば、イヌイットの言葉では「雪」を表す単語が何種類(10種類とか50種類とか分け方によって色々言われている)もあったり、日本語では時雨とか五月雨とか「雨」を表す単語が英語あたりと比べるとたくさんある。
(ちなみに、この話は転じて「わたしたちの思考は“何語を話すか”ということによって影響を受ける」と唱える説(サピア・ウォーフの仮説)に繋がっていき、業界の中で論争になったりしてるんだけど、それはまた別の機会に。)

少なくともわたしは、その言葉を話す人たちが過去に「必要があったから」言葉に残ってるんだろうって思う。例えば、わたしたちは「犬」という単語と「猫」という単語を持っている。それは、日本語を使う人々が、犬と猫を違うものとして区別したかったから。どこかの国では、両方まとめて「動物」とか「四本足」とか呼んでいるかもしれない。一方で、言葉は人間が意思を伝えるために発達させてきた武器だ。きっと最初に言葉を話した人間は、どんな生き物よりも「伝えよう」と思ったんだと思う。だから人は言葉を話すようになった。本当のところは、それこそ「はじめニンゲン」に聞かないとわからないんだけど。

そう。だから。
より正確に伝えたい、そういう気持ちがあったから、わたしたちは犬と猫との間に線を引いたんだと思う。
何かを伝えたくて、そしてなるべく正確に伝えるために、工夫してきたツギハギだらけのブランケットこそが言葉なんだって。

一方で、言葉には限界がある。
他の人が考えていることは、完全にその人にならないと決してわからない。どれだけ言葉を尽くしても、自分の考えを100%まるごとそのまま伝えることなんてできない。ただ、言葉という「橋」を使って、わたしたちは想像をする。わたしたちはリンゴを見ればリンゴだとわかるけど、よく見るとひとつひとつ色が違ったり、へたの長さが違ったりして、全く同じものはひとつもない。なのに、リンゴだってわかる。これについて、その昔、ソクラテスの話を一生懸命聞いていたプラトンはイデア論というのをまとめたんだけども、それによるとこの世の全てのもののお手本を並べた「イデア界」というのがあって、そのお手本からコピーしたものでできているのが人が生きている世界なんだって言った。その後、「イデアはみんなの中に存在するんだ!」って言う人が現れたりとかして、哲学の世界では多分結論は出てないんだけど、少なくとも、誰かと会話をするという行為は、まさにこれだなって思う。

ある人が考えていることを何とかコピーしようとして口から出て来た言葉は、お手本のリンゴからコピーして作られた、ちょっと画質が粗くなってるリンゴで、聞いている側はそれをいくつも集めながら、イデア界のリンゴを想像しようとする。頑張れば近くなるけれど、たぶん永遠にたどり着かない。数学の「無限」みたい。りんごぐらいならなんとかなるかもしれないけど、「寂しい」とか「憂鬱だ」とかになってくると、少しずつ個人差が広がっていくんじゃないか。「愛」とかになってくるともう大変だ。みんなの定義が少しずつ違う。そう、みんなの「普通」が違うのと同じように。

それでも。
なんとかして上手く伝えたくて、あらゆる言葉が生まれたんだと思う。
言葉は、人類の伝えたくて、でも伝わらなくて、そんな試行錯誤の歴史そのものなんだと思う。だから、わたしはその営みを続けたいと思う。「無限」と同じように、たぶんどこまでいっても、極限まで近くまでいけたとしても決してたどり着かない旅なんだと思う。でも、そういうものなんだって思って進んでいけば良いんだと思う。もう完成した道であって、絶対だと思って、それを人に押し付けようとする人もいるけれど、未完成品なんだから、この営みを続ける必要があるんだよって。分けることは、壁を作ることじゃない。誰かをわかろうとする経緯なんだって。わたしはそう思うんだ。

そんなことを考えてたら失くしたと思っていたリップが出てきた。リップを塗ったら少し気分が上向いた。うん、こういう時は「女だから」という理由を借りよう。気分が良くなるから。そしてリンゴのハイチュウを買って帰ろう。美味しいから。

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