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わたしたちは未来に恋をして、実績を愛する

今日は女子っぽく恋バナしまーす☆



「好きじゃないけど結婚してくれ。」

…あ、わたしが言われたんじゃなくてですね。え、いや、わたしが言ったのでもないんですよ。


先日知り合った年上の紳士が、大変奥様のことを愛していらっしゃっているご様子だったのですけれど、その馴れ初めについて聞いた時に出てきたプロポーズの言葉なんです。

なんだそれはと思ってよくよくお話の続きを聞いていると、これが面白くて。

初めはそんなことを言って結婚をした。
今ではずいぶん傲慢だったと反省しているのだけどね。
それでもいっしょにせいかつしてきてくれた妻が、こぼれ球を全て拾うかのようにサポートしてくれる様子を見て、本当に愛しくなっていった。

ほろ酔いの紳士のお話はさらに続き、もうあとは何を聞いても惚気にしか聞こえないような、それはそれは微笑ましい様子でございました。

その話を聞きながら、ふと。
人は未来に対して恋をして、実績でもって愛するのかな、と思いました。

恋をする時、人はその人に対して、この人と一緒にいたらこんな風になれるんじゃないかとか、そういった未来に起こるかもしれないことへの期待多少の妄想と共に膨らませて、その人を好きになるんじゃないかなって。

お見合い結婚の離婚率が存外低かったのは「女性が金銭的な自立がしにくかった」「離婚による社会的なダメージが大きかった」といった背景も大きいのかなと思いますが、実は「恋はしなかったけれど、結果的にたくさん愛した」ということも密かな要因になってたりするんじゃないかと、ロマンチック蠍座は妄想すらしてしまいます。
「恋」による期待が大きければ大きいほど、その後の結婚生活で期待とのギャップが出てきて、「こんなはずじゃなかった」と思って離婚をすることがあったりするんじゃないかな、と。何も結婚までいかなくても、恋人と交際と破局の間にも成り立ちそうな話です。

先日、わたしの盟友が「先日読んだエッセイに、結婚は誰でも良いからともかくすれば良いものと書いてあったんだよね」と教えてくれたのですが、恋が愛の必要条件ではないと考えると、それも一つの方法かなと思えます。

じゃあ、「恋」がまったくの悪なのか、というと全然そんなことはなくて、きっと「愛」しあう関係を始めるきっかけの一つなんです。その点ではお見合いも出会い系アプリもきっと変わらない。「あの子を振り向かせるために数学めっちゃ勉強したら数学超得意になった」のと「素数にハマって素数マニアになるべく調べ物してたら数学超得意になった」みたいな感じで、数学が超得意になったという結果は同じなのだけど、入り口が違った、という感じで。
そして、期待をしたけれどちょっと違った、なんて時もガッカリしないでむしろ楽しんだりすればきっとそのカップルは続くし、「実績」を愛していけばそれはきちんと愛になっていくのだと思うのです。(では人を愛するとはどういうことなのか、というのはまた興味深いトピックですね。大体、企業の採用もそうじゃないですか。履歴書とか面接とかでその人に恋をして採用して、実績で以ってその人に還元する。そんな感じかなって。

…と、思ったんですけど、諸先輩方、いかがですか。



ウフフー☆
恋バナ超楽しかったねー!またしよーねー!

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