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SNSにシェアされない「思い」は大切なガラス細工だ。

カフェモカをテイクアウトして、マスクをしない言い訳にした。カフェモカの柔らかい泡を感じながら歩き続け、商店街を通り抜けて、人通りの少ない高架下へと向かった。一つ深呼吸をする。冷たい冬の空気が喉を通り抜け、しかし腹に着く前に消えるのを感じる。

わたしは今、ひとり贅沢なことをしている、と感じる。その贅沢は、誰にも知られなくて良い……いや、誰かが聞いてくれたら少しだけ、嬉しい。もちろん、聞いた誰かは「そんなこと」と言うかもしれない。でもそれでいい。少なくとも、わたしはそれが幸せであると感じられる分、幸せのタネを1つ多く持っているんだラッキーって、そういうことなんだと思う。

TwitterやFacebookにシェアされないような、弱くて、小さくて、不完全な思いがたくさんある。自分の中にもあるし、誰かと話していて出てくることもある。最近はそのすべてが愛おしい。誰かを出し抜きたくて威張るのでもなく、完全を求めていい子ちゃんになってる訳でもない。その「思い」たちは、無限の可能性を秘めているし、人をうっかり惹きつける習性があるように思う。口に出すと周りの人によって磨かれていく。メモに書いておくと、いつか将来の自分に拾われたりする。そして、ひょっとするとSNSの世界に羽ばたいていくような立派な白鳥になるかもしれないし、何か違う形で実現するのかもしれない。何より、そういうものが自分を作る。自分探しじゃなくて、自分作りってそうやっていくんだろう。

そんな、誰のためでもない自分の気持ちを大切にしたくて、手帳を持ち始めた。ネットに繋がっていない、最強の鍵垢。流れていかずに留まるもの。その中に、自分の中の弱い「思い」を書き溜める。つながる時代につなげない、贅沢な時間。

わたしは花粉症なので、今日花粉が飛んでいたらわたしは明日にでも鼻詰まりになるかもしれない。それでも良いや。贅沢したんだもの。

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