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よい習慣をひたすら淡々と続けてみる

この記事は、別サイトに掲載した記事を加筆・修正して投稿しています。

朝夕2回の瞑想の習慣がすっかり私の生活に定着しました。

そして現在、このことに味をしめ、また別の習慣を生活に取り入れようと約3週間ほど前からトライしているところです。

その習慣というのは以下。

・毎朝ヨガをする(所要時間約20分)
・毎朝オイルマッサージをする(マッサージ後のシャワーも含めて、所要時間約40分)

上記はいずれも、以前の記事「理想の1日の過ごしかた」にも書いた アーユルヴェーダで推奨されている朝の日課です。


実はこれらの習慣化には過去にも何度か挑戦したことがあるのですが、

「手間と時間がかかる」「仕事が忙しいくて余裕がない」「(冬の時期など)寒くて早起きできない」

などの理由から、コンスタントに毎日・しかも長期間は続けられなかったというのがこれまでの経緯です。

その経験をふまえ、今回それとなく意識していたのが
効果があってもなくてもとにかく淡々と続ける
ということでした。

というのもこれまでは、「習慣を続けた場合の効果」と「習慣を続けるために支払うコスト(労力)」を無意識のうちに天秤にかけていて、少しでもコストのほうが上回ると感じると途端にやる気をなくしてしまう・・・というパターンが多かったように思ったからです。


この心がまえの威力はバツグンで、これまでのところ(体調が優れなかった1日を除いて)自分で決めた日課を毎日こなすことができています。

日常生活ではどうしても「費用対効果」や「効率」を最優先で考えてしまい、労力に見合わない活動をするのはまるで「損」か「悪」かのように感じてしまいがちです。

しかしこの3週間の中で私が感じたのは、「自分がやろうと決めたことを、結果を気にせず、ただシンプルにやり続ける」こと自体が、実は思った以上に心地よいということでした。

それはもしかしたら必要だと思っていたモノを手放すときの清々しさにも似ているかもしれません。

つまり、「よい習慣を続ける」という行為の結果に対する過度の期待を手放すことで、また少し自分を自由にすることができるような気がしたのでした。


2015年6月2日(火)記す

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