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【普通学 1ページ目】わたしと「普通」と小鳥と鈴と

早速ですが、残念なお知らせがあります。本文の中に小鳥と鈴の話は出てきません。ものすごく小鳥と鈴に期待をしていらした皆さんには申し訳ないのですが、わたしはそんな皆さんならむしろ仲良くなってみたいと思いますので是非本文などすっ飛ばしてコメント欄で盛り上がって頂けたら幸いです。

じゃあ何の話をするかって、「普通」です。「普通」について話します。“ほら、「」で囲ってあるんだから普通について話をすると考える人が普通でしょう?” ああ、なんてハラハラする発言なんでしょう。こんなこと言うの数年ぶりです。

結論から言うと、「普通って人それぞれだよね」っていう話をします。わたし自身は「普通」そのものは善でも悪でもないと思っていますが、使いみち次第で毒にもクスリにもなり得るのだと思っています。そしてこの「普通」という概念は奥深くて、なかなかに味わい深く、例えるならばスルメのようなものなんです。好きな人は好きで、噛めば噛むほど味が出るでしょう。ちなみにわたしはイカが嫌いなのでスルメも嫌いです。ノーサンクス。

さて、ここまでがわたしの思うところなのですが、みなさんは「普通」という言葉について、どういう印象をお持ちでしょうか。「普通」について悩む人は子どもから大人まで、それなりにいるように思われます。

他の子が言う「そうだよねー」に同調できない。

平均点が取れない。

タコは好きだけどイカは嫌いだというのを理解してもらえない。

留年した。

歩いてディズニーランドに行ったら2.5時間かかったって話たら変な顔をされた。

休職した。

家庭の事情が複雑だ。

会社の休憩室で腹筋ローラーやってたら怪訝な顔をされた。

3年も経たずにに仕事を辞めた。

うちの子は他の子ができることができない。

正社員じゃない。

かく言うわたしも、「普通」についてはどちらかというと悩まされてきた方です。そして、同時に大変付き合いの長いキーワードでもあります。

「ヨノセ家の子どもは普通じゃないのよ」


わたしは小さい頃から母にそう言われて育ちました。小学校に上がってすぐにもう言われていたと思います。それは決して「あなたは特別な才能を持っているの」というような音程ではなく、「普通の子とは違う部分が多いから気をつけるのよ」という声音だったような気がします。(お母さん、違ったらごめんなさい。)少女ヨノセコはそれから、一体自分が他の「普通」の子どもたちと何が違うのか気になって気になって仕方がなくなりました。

しかし、ここで少女ヨノセコがグッジョブだったのは、中学生の頃に少しマセて「普通と違うのであれば、せめて普通を知った上で普通ではないことをするのが普通に対する礼儀だ」と思い、普通とは何なのか、普通の正体を知ろうとしたことです。よくやった!

そういうことで、わたしの「普通」を知るためのフィールドワークは少女ヨノセコによって始められたのです。多くの「普通」を観測し、「普通」ができ上がる仕組みを考察し、「普通」と上手く付き合うにはどうしたら良いのかを考えるその過程の中で、個人的には「普通学」という学問を立てられるんじゃないかってぐらい普通は奥深いのだなあと感じました。

次回から、いろんな角度で「普通」について掘り下げてみたいと思います。そして、より多くの方が「普通」と上手く付き合い、そして「普通」に悩む方の睡眠時間が少しでも長くなりますように。


え? タコとイカがどう違うかですって?

匂いも味も食感も全然別物じゃないですか。もう! 普通わかるでしょ!

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