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移住者男性からメールを頂戴した - 青年は荒野をめざせ

移住者の若者からメールが届いた。了承を得たので紹介させていただく。

初めまして。YouTubeチャンネル「限界集落で暮らす」を運営しておりました□□と申します。この度は私たち家族に起きたことを記事にしてくださりありがとうございます。こちらの記事は義母から送られてきて初めて知りました。深い考察で書いてくださった内容に感嘆し、一言お礼を言いたくてメッセージをさせていただきました。

私は現在、高知県大川村というところでまた新たに挑戦の準備をしている最中です。挑戦の内容はこちらの記事に書かれているものと限りなく近く、その取り組みに賛同してくださる住民の方々もたくさんいらっしゃいます。今月中にはまたYouTubeでの動画投稿も始めますので、お時間ありますときに目を通していただけたら幸いです。この度は本当にありがとうございました。

(写真は朝日新聞)

新天地に移って元気に活動を再開した様子で安心した。奇遇というか、前回の記事で触れた高知県の大川村を新たな移住先に選んだとあり、それを聞いてとても感慨深い。大川村は別子山地域と県境を挟んで隣合わせの位置にある自治体だ。離島を除いて全国一人口の少ない村であり、数年前に村議会廃止の危機的事態に直面し、問題が大きくクローズアップされ、全国に報道されて有名になった。その後、全国各地から若者の移住者が訪れ、地域おこしの活動が動き、2019年には無事に村議会選挙が行われて、移住者の若者が村議に当選するという経過になっている。今回、大川村は一気に5人も人口増となった。画期的で祝賀すべき出来事である。おそらくだが、5人家族は大きな歓迎を受け、村を挙げての暖かい持てなしに包まれたに違いない。そのことは容易に想像できる。

■ 「余談」からの楽観的予想

土佐人は伊予人に対してある種の微妙な対抗意識を持っている。同じ四国の県民だが、同質性よりも異質性の感覚の方が強い。この場合、わずか150年の歴史しかない近代以降の「県民性」などという概念を用いるよりも、司馬遼太郎の観察と方法にならい、民族(言語・血統・風俗・習慣の共通性)という重い言葉を使う方が社会科学的認識として妥当だろう。土佐と伊予とは1500年の長い歴史の間、少なからず緊張して対峙する関係にあった。土佐と伊予とは民族が違う。というのが土佐人一般の、特に年配者の本音ではないか。敢えて戯画的に表現を試みれば、土佐にとっての伊予とは、優位で旺盛な資本力と文化力を背景に、柔和で手弱女な表情と態度で接近してきながら、小狡く搾取を図ってくるところの、油断のできない潜在的脅威の隣人である。

同時に、平時の優劣を決める経済力と文教力では常に敵わない相手だが、時代が激動する武力的事態のときは必ず圧倒するぞという(長宗我部の統一制覇、土佐藩の松山占領)、そういう複雑な優越意識もある。伊予に対してそのような表象と感情を持っている。いささか司馬遼太郎的な「余談」の方向に流れたが、地域のこうした気分は東京からの遠い目線では分からないものだ。簡単に「四国」と一括りする粗雑で乱暴な認識では、正しく土地の真実は理解できない。繰り返すけれども、土佐と伊予とは1500年の長い歴史があり、相互の関係性と刻まれた印象がある。その意味で、5人の家族は新しい高知家の住人であり、意地悪な伊予人に苛められた不憫な東京出身の若い一家という見方になり、ここは県を挙げて庇護し応援すべきという土佐人の好きな正義の世論に自ずと傾くだろう。すなわち、すでに一つの物語が醸成されている。

■ デジタル時代の価値と商品

前回、私は「若者の事業戦略の方が当を得ていると軍配を上げる」と言い、「農業特産品よりも古民家再生の動画発信の方が、地域おこしとして収益を上げる上で正解だ」と書いた。ネット動画の撮影と編集と配信は、今では誰にでもできる簡単な作業だ。簡単なことだが、できる人とできない人がいる。また、作品の出来には差がある。有益でメイクセンスで視聴に値するコンテンツでないと、見てもらえず、共感してもらえず、拡散してもらえない。そこは、要するに制作者のスキルの問題だ。果たして、別子山集落に動画を編集し配信できる技能のある住民が何人いただろう。若者の動画は300万回再生されている。単にテーマに話題性があり、衝撃的な事件内容が告発されているからというだけでなく、作品の構成と映像の処理と品質がよく、説得力が十分だったから、多くの視聴者の評価を得たのである。

その点を見落としてはいけない。つまり、良質な動画を制作提供できる技能こそが、ユーチューブの再生数を媒介し、動画を事業化した場合の成功の鍵なのである。収益を生む価値だ。マルクスは価値の源泉は労働であると言っている。技能レベルの高い労働者ほど付加価値の高い商品を生産できる。今日、インターネットは経済活動の主役的基盤であり、ネットを通じてお金が縦横に流れる。マルクス的に言えば、まさにネットが生産手段である。別子山集落の関係者や新居浜市の幹部たちは、そのエコノミクスの事実をどこまで承知していただろう。地域おこしの事業収益は、顔役ボスが補助金で集団をこき使う農業特産物の出荷でも得られるが、個人のネット動画の配信でも得られるのだ。お金はお金。集落を全国に認知させてプリファレンスを上げる宣伝効果は、特産品の販売よりもネット動画の方が威力が大きいだろう。

■ インターネットは生産手段

お金はどこにあるのか。市場はどこにあるのか。どこから集落にお金を流し入れるのか。東京である。大都会である。東京の消費者に買ってもらうのだ。東京の都市生活者にメイクセンスな価値を提供し、対価として貨幣(日本円)を得るのである。何を売ってもいいのだが、8年間も赤字で収益の出ない何かを無理に(補助金付けて)押し売りするより、コンテンツの作品性が評判になって、積極的な口コミが広がり、自然にチャンネル登録者数が増え収入が上がるという図式が、事業のスタイルとしてエレガントで現代に合ったものだろう。個人が自分の才能で勝負できる。誰かの指示と命令に従って働く労働形態ではない。インターネットは、個人にその活動の可能性を与えていて、夢を見る生産手段になっている。それはコンテンツという商品と事業である。現実にそこには市場がある。マーケットのポテンシャルとオポチュニティがある。

それは嘘でも誇張でもない。ブログやSNSの発信情報があり、ユーチューブの動画があるから、週刊朝日が休刊になるのである。朝日新聞の部数が減少するのだ。市場淘汰されているのだ。リプレイスが起きているのである。週刊誌や新聞だけでなく、テレビでもリストラの波が迫っていて、NHKはBSのチャンネル数を削減する。いずれ民放にも同様の局面が訪れるだろう。無駄で無益な、プロパガンダと下劣なお笑いの海と化したテレビ番組と付き合うのをやめ、その時間をネットに割き、自分の趣味と指向と必要に合ったコンテンツを求め、お気に入りを見つけて視聴者となる。そうした情報市場の運動と変化が進み、競争力を失った業者(週刊朝日など)が撤退しているのである。動画広告市場の規模は、21年度で4205億円の実績となり、25年度には1兆円を超えると推計されている。発信者を志す者にはきわめて有望で魅力的な世界だ。

■ 子どもと家族を持って人生を送る場所

その朝日新聞の2月1日の紙面に、ネット配信では有料遮蔽されたところの、小熊英二による当該事件についての論評の一部が掲載されていた(13面左下隅)。それによると、地域おこし協力隊に参加した移住者の中で任期終了後も自治体に定住した者は53%に止まるとある。つまり、半数が土地を離れていて、「就農や事業継承は少なく、自分で仕事を探すか起業するつもりがないと定住は難しい」と書いている。半数が離職している事実があり、別子山的なブラック企業の実態が全国で広範に存在し、政府が推進する地方移住事業の構造的な問題として付随しているということだろう。総務省には本格的な調査と検証が必要だし、それがない場合は、地域おこし協力隊を専門としたコンサルや興信所が登場するかもしれない。移住する者は失敗を防ぐため正確な情報が欲しいし、その取得のために費用も出すだろう。面妖な2次ビジネスが出現してしまう。

だがそれでも、私は、東京の若者に限界集落へ行くことを勧める。この34歳の若者のように挑戦してもらいたい。不運にして躓きを経験することがあっても、本人の志が高ければ、必ず扶けの手を伸ばしてくれる者との出会いがあるはずだ。それを信じろと言いたい。東京で親の資産が十分あり、家や土地の不動産を持ち、確かな人脈の支えがある若者にはこの生き方の推奨はしない。そうした資産の前提がなく、ポッと出の無産の若者で、非正規で手取り月15万円の収奪地獄に喘いでいる者は、ぜひ志を立てて地方移住に踏み出してもらいたい。特に言いたいのは、家族を持ち子どもを持つ人生設計を望むのなら、生きる場は地方を選べということだ。東京で非正規のまま20代を送っていると、あっと言う間に30代後半となり、結婚できず子どもを持てない身になってしまう。内部留保に貢献するだけのネオリベ経済の犠牲者となる。結婚と家庭を諦める身になる。

■ 藻谷浩介の提言から

子どもと家族を持つ人生を思い描くなら、リスクを賭して地方移住に挑戦すべきだ。フロンティア(開拓地)に行くべきで、新しい出会いを探すべきだ。藻谷浩介は5年前にこう言っている。

有効なのは、子どもを好きなだけ多く持つことのできる、生活費が安く相互扶助の気風の残る地方に、子どもを持ちたいという指向の強い若者を多く戻すことだ。これだけが、日本の消滅を可能な限り後送りする、いずれは逆転の人口増加を可能にする秘策である。

(内田樹編『人口減少社会の未来学』P.128 文藝春秋社)

私は、これで日本の人口減少を後送りできるとか、日本の衰退滅亡を止められるとは思わないが、東京で非正規で働く無産の若者にはこの主張に頷いてもらって、選択の指針にしてもらうのが一番だと思う。男性だけでなく女性も同じ。

数年前、増田寛也らが、地方から若年女性が大量に大都会に出ることで、地方の人口が一気に減少するという説を唱えていた。娯楽や遊興の集積を求め、働き口を求め、華やかさと賑わいを求めて20代の独身女性が地方から東京に出るのは必然のことだ。だが、そこで10年働いて暮せば30代になる。そのまま東京に居続けると「おひとりさま」で人生を終える末路を余儀なくされる。「おひとりさま」の老後を忌避し、子どもと家族を持つ幸福な将来を得ようとすれば、地方移住をプラットフォームにするのがいい。今、東京から地方に移住すると最大300万円の支援金が出るという情報がある。国の財政が逼迫する中で、いつまでもこんな多額の助成金が続くとは限らない。地方自治体は、地方に来て家族を形成し子どもを産み育ててくれる女性を求めている。地方はその競争をしている。地方はその競争の精度をさらに上げ、東京から若い女性を呼び込むべきだ。

■ 弱者の東京生活のリスク

東京で働く無産の若者には、地方移住も勧めたいし、海外出稼ぎも勧めたい。2月1日に放送されたクロ現の「安いニッポンから海外出稼ぎへ」の特集は大きな反響を呼び、ツイッターのトレンドに上がっていた。話が巧すぎる怪しさはあるが、豪州と日本との賃金差は事実で、出稼ぎの成功で満足を得ている若者が多いのは確かだろう。私が若者に豪州・NZ・カナダを勧めるのは、もう一つの理由があって、それは日本が戦場になる可能性が高いからである。このことは前から何度も言っている。米軍基地や自衛隊基地の周辺だけでなく大都市も危険だ。空爆を受けたとき、インフラに極度に依存している大都市では人が生きられない。地方移住、特に限界集落をお勧めするのは、戦争になったとき安全で、空爆がなく、物流含めたインフラに頼らなくても生き延びられる可能性が高いからである。冗談ではなく真面目にそう思っている。真剣にそう言いたい。

『火垂るの墓』の兄妹も、神戸ではなく山奥の子どもならば命を落とさずに済んだ。生きなきゃいけない。戦争になっても、日本の人口が半分になっても、国が滅亡しても、生きて新しい命を繫いで残さなきゃいけない。台湾有事が迫っている。ボヤボヤしていると徴兵に取られる。改憲されたら終わりだ。手遅れになる。

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