日本のGDPが世界第4位に ー 労働生産性向上と逆行する経済政策と産業構造
日本のGDPがドイツに追い越され、世界第4位に転落した。数年前、急檄な円安の動きが始まった頃、その日が来ることを予測して警告的に書いた覚えがあるが、書いた場所を忘れて取り出せない。日経の記事にグラフが出ていて、1961年以降のドイツと日本のドルベースGDP値の推移が比較されている。見ると分かるように、1995年頃の日本のGDPは2倍ほど差をつけてドイツより大きかった。まさかドイツに抜き返されるとは思いもよらず、意外で、長く生きているといろいろな経験をするものだと感慨に浸る。
下のグラフは前に作成したもので、各国のGDPの伸びの推移を表している。四半世紀の間に米国はGDPを3倍に、英国は2.5倍に、ドイツとフランスは2倍に拡大させている。何度も書いてきたが、25年間も時間を費やせばこの規模に達するのが当然であり、普通の正常な姿である。日本のゼロ成長の半永久的な固定と継続こそが異常現象であって、世界現代史における病的でアクロバティックな奇態なのだ。韓国も3倍以上にサイズを膨らませている。各国が何か特別な秘策を成功させたわけではない。日本が特別な「政策」を実行してこのグロテスクな結果に至ったのである。「構造改革」(小泉・竹中)とか「成長戦略」(安倍・菅・麻生)と呼ばれる「政策」の帰結として、成長しないED体質の経済を作ってしまった。
実際のところ、何が成長を止めた要因かと言うと、答えは簡単明瞭で、賃金の上昇を抑え続けた点に尽きる。よくぞここまでと驚くほどパーフェクトに賃金抑制を続け、逆に負担を重く押し被せて収奪し続けた。見事なまで理想的な新自由主義の経済運営を行った。厚労省のHPに各国の名目賃金の推移を示したグラフが掲げられている。1991年を基点とした推移だが、OECDの資料を元に作成されたものだ。嘗てはこうしたデータを政府は表に出さなかったが、最近は「賃金上昇」の掛け声の下で積極的に開示・宣伝するようになった。
一瞥して了解できるとおり、二つのグラフは見事に推移が重なっている。英国と米国は賃金が3倍近くに増え、ドイツとフランスは2倍近くに増えている。これほど分かりやすい図解説明はないだろう。経済は数字の世界である。他の先進諸国は賃金が普通のカーブで推移したのだ。30年間も経過すれば、名目ベースで2倍3倍に増えるのは当然である。賃金の上昇が消費の拡大となり、GDPの増加(国民経済の拡大)を結果させている。日本の経済萎縮、ゼロ成長経済の構造的固定化の要因は、賃金抑制にあり、非正規化など労働者への分配を極端に削った政策のためだ。重要なのは、因果関係の論理の順番を間違ってはいけない点で、成長できなかったから賃金が増えなかったのではなく、賃金を抑えたから成長が止まったのだ。それが真実だ。
ここでどうしても言わなくてはいけないのは、左翼リベラルの定番論者たちが、長くGDP指標の意義を否定し、矮小化し、GDP成長を悪魔化する言説を吐いてきたイデオロギー的事実だ。典型的な表象は田中優子である。他にも無数にいて、本田由紀や小熊英二や内田樹が同様の議論を唱え、左翼世界の標準的な教条に据え、左翼の神聖で無謬で不動の信念としてきた。最近は斎藤幸平がこの任務を引き継ぎ、テレビで精力的に布教活動を続けている。およそ経済学者とは思えない呪術師的な愚論が吐き散らされている。私の20年を超えるブログ人生の仕事の一つは、この根本的に誤った俗説をデモーニッシュに渾身から批判し抜くことだった。賃金を増やせば消費が増え、経済全体のパイが拡大する。GDP値は否が応にも右肩上がりになる。自然生的な循環と運動で拡大する。指標たるGDPに難癖は必要ない。
しかし、私が脱構築主義者と呼んで批判する左翼リベラル・アカデミーの徒たちは、この理(ことわり)を頑として認めず、最初にGDP悪玉論ありきを言い、経済成長を自然破壊の元凶として位置づけ、GDPを不当視する偏見の拡散をやめない。経済成長が悪であるという観念を一般社会に執拗に刷り込んできた。本来、左翼リベラルの側は、賃金上昇とGDP拡大が連動した合理的なマクロ経済モデルを設計し、賃金を増やし、所得を増やし、消費を増やし、税収を増やし、政府予算の社会保障費を増やすという理念的スパイラルの政策図を描いて説得するべきであった。が、賃金とGDPの連関が断たれて消え、意味不明になり、整合的なエコノミクスの構想を示して国民の支持を受ける政治にならなかった。そうして、左翼の論者や学者たちの「賃金上げろ」はルーティントークになり、熱のない、空疎なスローガンと化した。
経済成長を約束したのは、新自由主義の方である。この「経済成長」には特別な意味があり、狡猾な欺瞞があり、それは労働者を含めた全体経済のパイ拡大を意味せず、資本経済(資本セクター)の拡大を企図し、内部留保の絶倫的増殖を導くものだったが、その内実に気づいて暴露・指弾した者はなく、左翼リベラルの学者にはそれを看破できる経済学の素養がなかった。それを解説できる知識がなかった。彼らには「経済成長」は最初から邪悪であり、必要のない毒物だから、アベノミクスが約束する「経済成長」などどうでもよく、関心を持つ必要もなかったのである。「右肩上がりの時代は終わった」と呪文を唱え、サンデーモーニングで説教を繰り返し、左翼民衆の信仰をメンテナンスしていればよかった。一方、多数民衆は経済成長を求め、結局、アベノミクスに救いを求めて自民党に一票入れる大衆行動が続いた。
と、こんな議論を延々ブログで続けてきた。が、遂に定説にはならなかった。正鵠を射た経済政策論として評価を受けず、有意味な社会科学の問題提起として注目を集めなかった。敗北感に苛まされる。森永卓郎は膵臓がんになったが、同年齢の私も日本男性の平均寿命まであと14年であり、平均健康寿命まで残り5年しかない。こんな(愚痴めいた)話を書いて読んでもらえるのも、あとわずかの健康な時間だけである。年をとると本当に一年経つのが早い。一週間は、若いときの感覚だと一日程度のスピード感だ。あっと言う間に土日になり、サンデーモーニングの時間になる。一年を総括する間もなく年を超え、新年が過ぎる。そして身体の不具合が次々発生し、病院に通う日数が増え、医者から処方されて服用する薬剤が増える。まさか20年も同じ意見を言い続け、六条御息所的な恨み節を深めるとは思わなかった。
今回の稿では、労働生産性の問題について少し考察を加えたい。NHKの報道では、日本の1時間あたりの労働生産性は、OECD加盟国38か国中30位となっていて、1970年以降最低位に落ちたとある。その中身として、製造業に比べてサービス業のデジタル化が進んでないからという理由付けがされている。よく聞く指摘であり、アトキンソンや竹中平蔵がマスコミで撒いている持論だ。サービス業をもっと大資本系列化して中小企業を減らせという意味だろう。日本の労働生産性が低い問題も、基本的には賃金を上げれば改善し解決する問題であり、消費が増えてGDPが増えれば数字は大きくなる。OECD内での順位も上がる。が、そうした楽観論だけでいいのかという不安が私の中で頭を擡げていて、どうもそれだけでは済まないと心配するようになった。厄介な問題がある。それは、産業構造と教育水準の問題だ。
日経ビジネスのサイトに統計分析が載っていて、90年代以降400万人の就業者が製造業から非製造業に移動したとある。日本のメーカーが各地に稼働させていた工場は閉鎖が続いている。東芝の深谷と青梅と姫路、パナソニックの門真と津山と福島、NEC、富士通、、枚挙にいとまがなく、日本列島全体が「錆びたベルト地帯」と化しつつある。工場だけでなく本社の人員も激しく削減している。これまで日本の雇用を吸収してきた大手製造業が、シェアを奪われ、経営不振に陥って社員を掃き出している。それを吸収するのが非製造業のサービス業だという話なのだが、曲者なのは、その産業部門が必要としている労働力の質だ。労働者の教育水準だ。例えば、政府が旗を振っている成長産業としてインバウンドがあり、外国人観光客のおもてなしがある。NHKほかテレビで年中宣伝している。少し前は介護が成長の花形業種だと言っていた。
外国人観光客に飲ませ食わせ泊まらせのサービスを提供するインバウンド産業。果たして、この部門で新規に就業する労働者に求められる教育水準はどの程度なのだろう。嘗ての、半導体やエレクトロニクスを製造していた企業の労働者のそれと同じレベルとクオリティだろうか。労働者の賃金は、一般的に教育水準の高い者ほど多く、英語やITのスキルが高い者ほど多いと言えるはずだ。労働力商品の価値が高いと評価される。外国人観光客に対応するインバウンド労働者と、嘗ての大手電機メーカーの労働者と、比較したときに何が言えるだろう。普通に考えて、観光産業の労働者の方が労働力商品の価値が低くなるのではないか。製造業よりもサービス業の労働者の賃金が低くなる傾向を確認できそうである。80年代から90年代は、日本人が外国に旅行して当地のインバウンド労働者にお世話していただいていたが、今、求められているのはその労働力である。
介護やインバウンドで労働者が不足していて、そこへの充当が求められている。その経済的変動の意味を、労働生産性の観点から捉えたらどうなるだろうか。必然的に、それは賃金を押し上げる契機にはならないという結論になる。簡単に言えば、インバウンドは低賃金労働者の増産にしか繋がらない。外国語のスキルは必要だろうが、それはあくまで観光労働での技能であり、日本人が外国旅行していたときの現地の観光労働者の日本語なり英語のスキルで止まる想定になる。サービス提供で観光客個々を満足させるに十分な範囲でよい。半導体やロボットの開発と販売で必要とされるスキルではない。その点を考えると、日本経済の将来には限界が見えていて、サービス産業が救世主になるという期待を持つのは難しいだろう。インバウンドや介護で経済成長を実現するという発想や命題は幻想である。インバウンドを経済の柱にするなど、どういう理屈と精神だろうと首を傾げる。
どこの国も、付加価値の高い生産と経済を目指し、そのための先端技術産業と高度労働力の育成集積に尽力している。日本だけが付加価値の低い生産と労働の方向にフォーカスしていて、今よりもなお、豊かな国・豊かな市民社会と無縁な貧困の地平へと走っている。吉本興業のお笑い文化と釣り合う、低品質の、知性や教養のない社会へ向かっている。インバウンドの乞食経済で喜ぶのはやめよう、高付加価値の製品を輸出して、儲けた利益と上がった円で日本人が海外旅行しましょうと、辛辣な表現を使って批判した記憶があるが、その主張は言論世界で共感されなかった。相変わらず、製造業を「昭和」の侮蔑語と重ねてイメージを貶める脱構築の言説がアカデミーとマスコミで幅を利かせている。思想状況が好転する気配や予兆はなく、国民経済と国民生活は年々衰弱し悪化する一途だ。と嘆いても、あと10年ほどで視界に入る全てはターミネイトして物語は終わる運命なのだけれど。
最後にもう一点。中小企業の賃上げが難しいという問題がある。別稿で論じたいが、これは難題で、中小企業には大企業のような内部留保の蓄えがない。なので、賃金上げれば好循環で回ってGDPが拡大しますというセオリーを置くだけでは解決の展望にならない。具体的で複雑な政策論を検討する必要がある。
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