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苦痛、タスクの発酵

 壊れた腕時計を直さなければと思っていた。お気に入りの時計で、ベルトの金具が破損してからずっと気になっていた。早く直して使いたいと思っていた。その時計への愛着は本当のはずだったが、なかなか着手できずにいた。だからベルトがうまく接続したとき、この時計への思い入れが証明できたように感じて安心したし、もっと早くやれたな、とも思った。

 やりたいこともやるべきことも、先延ばしにしてきた。それはなぜか。考えてみると、およそ以下のようなことが私の中で起きていると思われる。与えられた作業や課題は、まず、時間の経過と共に私の脳内で膨らむ。発酵するパン種のように膨らんで、だんだん重たく感じるようになる。そして、膨らんだそれらはくっついて境界を失くす。もはや何が重たい気分の理由かも分からない。こうして解像度の低いひとかたまりの「やるべきこと」が頭を占拠するから、常に任務を抱えている気分になるし、新たにやることが増える度にうんざりするというわけだ。

 でも、一つ一つ、今回の腕時計のように向き合っていけば、いつかは全てやり遂げられるはずだ。塵も積もれば山となるのなら、山も塵として処分できるという理屈だ。前向きでいこう。止まない雨はない。

 前向きな私はとりあえず、絵を描こうと思った。描きたいし、文化祭に向けて描く必要があった。そこでまず、古い絵をリサイクルするために画面をジェッソで白く塗りつぶした。2リットルのジェッソのチューブを両手で握り込むと、真っ白などろどろが画面に落ちて、色のついていたキャンバスはまた、元の自由な状態になっていった。

 キャンバスが乾くのを待つことになった私は、部屋の中が散らかっていることが気になった。次は部屋を、前向きに片付けよう。そう、簡単なことだ。一つずつ、一つずつなのだ。

 しかしそこで、散らかる部屋の隅にギターがあるのが目に入り、先にギターを弾きたいと思った。でもギターで遊ぶくらいならその前にTOEICの対策をすべきだと考え、それは面倒だからもう寝ようかな、などと前向きだった思考が錯乱し始めた。シーツがぐずぐずのベッドに置かれたリュック。机の上の菓子類・書類・水彩作品。漫画と高校時代の教科書の混じった本棚。部屋のドアの裏にポケットティッシュ。あらゆるものがあるべき場所になく、重要度、種別が区別されることなく混在している。

 この部屋が私のくだらない脳内そのものに感じられた。錯乱した前向きな私は、自分の頭の中もキャンバスのように空白で塗りつぶしたいと思った。私はなんだか自棄になって床の汚れに手元のジェッソを垂らした。するとフローリングに白い空白ができた。あらゆる情報が遮断された白い穴だと思った。愉快じゃん、と感じた私は何もかもこのどろどろで塗りつぶしたくなった。箪笥にしまわれずに床に落ちている夏服も、チラシと大事な書類が一緒くたになった山も完全な白にしたい。明日の遊ぶ予定とか、就職とか、誰がどうとか、今後の人生とか、全部空白にしたかった。そして自分も白い裸になって街に繰り出そう。

 でも後片付けが大変そうなのでまた今度にした。

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