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【掌編小説】キュートアグレッション

・キュートアグレッション: 人間の赤ちゃんや幼い動物など、かわいいものをみることによって引き起こされる皮相的な攻撃的行動・衝動。 

 彼女は自分のことが大好きであった。本当の彼女は彼女自身にしか理解できない、真に自分のことを愛せるのは自分だけだと本気で信じていた。自分だけがこの寂しい世界の唯一の理解者だった。だから、誰からも見向きもされない日にも平気であった。彼女の心は、いつも自分を見てくれていたからである。 

 それと、鏡が苦手であった。鏡は心に映る現実から引き戻すからだ。素顔のままに鏡に立っていることは彼女の生きる自信をなし崩しにする。だから、逃げるようにメイクをする。そうすれば、気が紛れた。 

 ある日、彼女はそれまで背けていた自分の顔がどうにも気になって、裸足のままに素顔で、玄関の細い姿見の前に立った。そのことがかえって彼女を勇気づけた。丸い目、割にツンと立った鼻、赤い唇。比べることはしなかったが、彼女は意外にもかわいいことに益々惚れ惚れした。 

 こうなると、今度は彼女の心がどこまで私を愛してくれるのか試したくなった。どんなになっても私の心は寄り添ってくれることを、しかと噛みしめたかった。彼女は鼻を右手でギュッとつかむと、思いっきりこねくり回した。鼻はジーンと赤くなる。しかし、そんなものではまだ足りなかった。これが呼び水となって、全身の神経がバリバリ逆立った。突然の破壊衝動が頭のなかを支配する。もう我慢が効かなかった。 

 彼女は玄関の扉を無造作に開けて、片っ端から小道具箱にあるもの取り出しては投げを繰り返し、カナヅチを取り出す。そして、おでこのあたりを何度も何度も殴りはじめた。 

 「私は愛想を尽かしたかな」と不安な反面、しかし彼女はそれにも上回る期待感に胸を膨らませていたのだった。

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