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日記と珈琲_3月の裏側

からだの8割が「珈琲と映画と本」で出来ている医学生です。3月の裏側、日記をもとに書いたエッセイです。


季節の変わり目に、土埃をまとった雪が道端に残ると、「まだ冬だな」と感じることがある。雨が降っても、日が照っても、それは変わらずそこに存在する。軒下の小さな雪山はすぐに溶けてしまいそうで、その光景に対して別れの言葉を告げることもある。さようなら。冬の記憶をたどると、大抵の景色に雪が映り込んでおり、ぼくは雪国の人間なのだろうと思う。
しかし、なぜ「雪国の人間」だと感じるのだろうか。周囲からは「雪国の人間らしいね」と言われ、いつの間にかそのアイデンティティを受け入れてしまったが、それが芽生えた瞬間を忘れている。雪国の人間と言われ、考えるたびに抵抗を感じるのは、自分の本質を言葉にできていないからだ。アイデンティティの問題は、人生の様々な時期に突如襲来するものだろうが、それが今現れた。
哲学的な問題の匂いがしてきた。自分の全存在を賭けて考えを深め、言語が生み出した存在の孤独と繋がりについて考察を進めたい。しかしなぜ言語を選んだのか。言語は、個人のアイデンティティや共同体への帰属意識に影響を与える。特有の言葉遣いや表現を通じて、特定の地域や文化に属する人々との繋がりを象徴するからだ。自己探究において、これほど適した材料は他に見当たらない。
「他者との繋がりにおいて、言語はどう自我と他者の境界を構築し、解体してきたのか」と問うことにした。
雪国には特有の言語がある。この地域に根ざした表現、リズムや調子が基盤となる。雪国と言えば、その方言性。方言は、特定の表現や語尾の活用、イントネーションによって標準語との違いが顕著になる。たとえば津軽弁の「〜ささる(自分の意思とは異なって状況が変わる)」や「わんつか(ちょっと)」のような表現は、地域言語の特徴を示す。雪国の言語は、標準語とは異なる表現法があり、言語構成の差異があり、理解を難しくする要素が含まれていることを認識してほしい。先ほどの「〜ささる」でいえば、これは稀な要素で、能動態でも受動態でもなく、幽霊的な不可抗力のもとで作用があったことを許す、現代ではほとんど衰退した中動態のような概念さえ横行する言語が「雪国の言語」なのであって、決して標準語と同列に扱えない難しさがあるのだ。
ぼくの言語は津軽弁、標準語、そして英語だ。これらの言語が交錯する世界で、ぼくは自己を理解し、それぞれの言語が生み出す独自の感性に基づいて行動を選択している。しかし、雪国の感覚だけがぼくを定義するわけではなく、他のコミュニティとの繋がりを求め、新しい景色を探求するために他の言語を積極的に使用していることで、ぼくの言語は一つに定まらない。最近では、医療と芸術の言語を使い分け、それぞれの文脈で異なる言語がぼくの行動や感性を形成していることが明らかになった。
残念ながら、ぼくはまだ医療の言語と日常言語の違いを完全に意識して使い分けることができていない。言語間の境界を意識することなく、脳が別の言語を用意しているかのように感じるが、それぞれの文脈に適した言葉を選んでいる自信がない。これでは到底医者の卵とは言えない。言語はその文脈に応じて使用されるべきだが、日本語と英語が混在する文章に違和感を覚えるように、本来異なる文脈で使われるはずの言葉が意図せずに現れると、混乱が生じる。これまでにも、本来は医療の言語で行うべき会話に文学の言語を引用し、その結果として困惑を招いたことがある。それは「3月7日」に現れた。

青森県立中央病院の見学。内分泌科の様子、研修医室を拝見した。外来で「○月×日」の「月」を「つき」から変換する先生の難しい質問に答えたら「文学的だね」と言い、失笑された。

『日記と珈琲_3月』「03/07」より

それは医師としての常識を逸脱した、予期せぬ言葉の使用だった。異なる言語を使用することの差異を体感した、お互いにとって意外な状況だった。したがって、ぼくは医療の言語を確立しなければならない。つまり、言語の使い分けを完成させる必要がある。バイリンガルであることの困難について聞いたことがあるだろう。ぼくの現在の状況は、多言語を扱う中での混乱の中にある。
では、ぼくが使用する言語の選択は、どのような理由から決まっているのだろうか。これは、ぼくが関わってきたコミュニティの数に依存するものだ。進学した医学部で、医学の言語を習得することに力を入れている。しかし、それ以前に、ぼくには雪国の津軽弁があり、日本語があり、英語があった。これらの言語は、ぼくの世界を形成し、話者との繋がりを築いてきた。言葉は繋がるための道具であり、言語はぼくたちを繋ぎ止める接着剤のようなものだ。ぼくたちは確かに繋がっており、孤独を感じていても、過去の自分とも繋がり続けている。様々なものと繋がっていくと、完全な独りは作り出すのは難しい。

順序が逆になったが、「雪国」の定義を明らかにする必要がある。「雪国」とは、どのコミュニティに所属している際に現れるのか。それは、ぼくにとっては津軽だ。人によって解釈が揺れても仕方ないが、ぼくが言う「雪国」は狭義の意味で扱っている。

時折り、「え、米谷さんって雪国の人だったんですか?」と言われるのは、どうしてだろう。個人を表す言葉が出ているのに、その中に雪国の思考が見当たらなかったのかもしれない。言語の深みに足を踏み入れると、ぼくがどのような言葉を紡ぐ人間であるかについての考察が深まり、自己探求が進む。
ぼくのルーツは津軽にある。しかし、簡単に「雪国の人間」とは言えない複雑さがある。ぼくは必要とあらば積極的に外の世界へ挑戦するタイプだ。「医学・医療」という分野は、地域に縛られず、全国の有識者が集まるセミナーや学会で得られる知識を通じて、さらに広い知の世界へと誘われる。大学に進学してからは、札幌から宮崎まで、その場限りのディスカッションを求めて全国を駆け巡ってきた。都度、標準語を使用し、方言は故郷の言語として保持してきた。すると、出身地を勘違いされる、雪国出身感が薄れた瞬間に立ち会ってきた。雪国らしい言葉、方言を使わない、たったそれだけで、客観的事実と主観的事実の差異に驚いたこともある。その経験を通じて、言葉で人の出身が決定する問題に気づき、その曖昧なルーツを受け入れて前進しようとしている。
標準語や英語でのコミュニケーションも積極的に行っており、その理解を言語自体に任せている。言葉はそれに適した表現で紡がれ、より関連性の強い言葉を生み出すことが可能だと信じている。そのため、それらは障壁ではなく、むしろぼくのフィールドとして活用してきた。内心では、標準語圏・英語圏の人間だと自認しており、津軽の、雪国の人間でありながら、状況に応じて言語を切り替えることで見られ方が変わるカメレオンで良いと認めている。境界が曖昧な自身を表現することで、コミュニティに問いかけを続けている。

直線的な壁の言語と曲線的な草木の言語の共存

4月のエッセイは、5月になれば。

プロフィール
米谷隆佑 | Yoneya Ryusuke

津軽の医学生. 98年生. 2021年 ACLのバリスタ資格を取得.
影響を受けた人物: 日記は武田百合子, 作家性は安部公房, 詩性はヘルマンヘッセ, 哲学は鷲田清一.
カメラ: RICOH GRⅢ, iPhone XR

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