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95.ラマダンはじまる

ヒジュラ暦1441.9.9 (2020.5.2)

今年もラマダンが始まった。5回目になった。ムスリムではない私も毎年、この時期になると断食をしている。これは、いくつか理由があって、過去にも書いたことがあるが、一つは「おつきあい」としての断食だ。

同僚が日中、飲食をしない中で自分がいつものように、ぱくぱく、ごくごく飲食をするのは、ちょっと申し訳ない。なので、ここ数年は、私もラマダン中は日中、断食をしていた。

さて、2020年4月23日。既に在宅勤務になって1か月以上経った。同僚にも1か月以上、会っていない。明日からラマダン。ふと、頭にある思いがもたげた。

今年、断食をする必要があるのだろうか。
私が家でどう過ごそうと見る人は誰もいない。
ただでさえ、ストレスフルな外出禁止の毎日。食べることが唯一の楽しみと言ってもよいのに、あえて断食をする必要があるのだろうか…

ラマダン初日、日中は何も食べずに過ごした。ちなみに私は水は飲んでいる。ムスリムの人たちは、日中、水も飲まないが、私の場合、水を飲まないと頭が痛くなり仕事にならないので、水はOK。

なんとなく、断食を始めてしまった。面白いもので、全く宗教的な気持ちがない私も数年、断食を続けてきた結果、日中、食べ物を口にするのに罪悪感を持つようになってしまった(笑)

断食は最初の1週間が一番つらい。空腹で体の芯に力が入らないし、私の場合、昼の12時から日没の6時過ぎまで、夕ご飯、何を食べようか延々と考え続けるという生産性ガタ落ちモードになる(笑)

これは、必ずしも私だけではないようで、サウジの場合は、ラマダン中は仕事も短縮モードになる。ラマダンに社会が合わせるのだ。今年は家にいるのだから、断食も例年ほど大変ではないような気もするが、在宅勤務になって、キッチンが職場になった私には、常に目の前に食べ物があるような職場になり、断食中の身にはつらい。

初日の日没後の最初の飲食。アラビックコーヒーとデーツ。毎年、これが、楽しみで仕方ない。

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その日、初めての食事。五感(特に嗅覚と味覚)が研ぎ澄まされていて、普段飲むアラビックコーヒーがより香り豊かに感じられる。デーツの甘味も舌から染みわたって血液に糖が入っていくのがわかる(あくまでイメージ)。体の芯から力が出てくる。脳内でデーツを仙豆に変換している自分がいる。

そして、あっという間に夜はふけ、翌日。また、長い一日が始まり、同じ思いが頭をもたげる。

今年、断食をする必要があるのだろうか。
私が家でどう過ごそうと見る人は誰もいない。
ただでさえ、ストレスフルな外出禁止の毎日。食べることが唯一の楽しみと言ってもよいのに、あえて断食をする必要があるのだろうか…

この繰り返しで1週間。今日に至る(笑)ようやく体が慣れてきた。
今年は残念ながら、近所のお友達の家の食事にも招待されることはない。ラマダンの楽しみは日没後に家族や親せきと一緒にご飯を食べることだ。わいわい、みんなでごちそうを食べることは幸せな時間だ。(2018年ラマダン↓)

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私も残念なぐらいだから、ムスリムの人にとっては、もっと残念なことだろうと思う。既に1か月近く外出禁止令も出ていて、ストレスも多いだろう。そういうこともあってか、ラマダンに入ってから、外出禁止令が少しだけ緩和された。感染者数が増え続けている中で、この決断が妥当なのかはわからないのだけど、そうせざるを得なかったのかなとも思った。

ラマダンの時期はお店ではセールが行われ、人々の購買意欲が高い時期。ショッピングモールに行けば人があふれ、ショッピングカートに山盛りの食べ物、飲み物を乗せている。

ラマダンはムスリムにとって「特別な月」だが、今年のラマダンは、それにも増して特別なラマダンになっているんじゃないかと思う。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!