65. それはできないお願いだ
ヒジュラ暦1441.1.7 (2019.9.6)
実は今、気が重い。今週、いつも私によくしてくれるサウジ人からメッセージがきた。
以下、私の雰囲気意訳
やあ、兄弟!調子はどう?
(私の勤めている)大学では、教授の権限で大学の事務員を採用できると思うんだけど、君のその権限を使って、私の家族を大学の女性セクションの事務員に推薦してくれないか。
まずは、大学の事務局に、君がどれだけの人を推薦できるか、聞いてほしい。それがはっきりしてから、手続きをすすめよう。
みたいな。
手のひらからスマホが滑り落ちそうになった。
「便宜供与」「忖度」「コネ」、こんな言葉が浮かんできた。
先に事実を整理しておくと
・私は教授ではない。英語表記だとAssistant professorではあるが、所謂、日本で言う「講師」だ。当然、人事の裁量権などない。
・仮に教授だとしても、サウジの国立大学で外国人教授に人事権があるとは、考えにくい。
・仮にサウジ人の教授でも、大学の事務員を好きに雇えるなんてことは、規則としてはないだろう。コネでは十分にありえるが。
しかし、このメッセージから考えて、相手はかなり前のめりだ(笑)「ちょっとそういう制度があるのか聞いてみてよ」というノリではない。採用はまちがいないとして、必要な書類を揃えたいから、先に確認しといてくれないかぐらいのノリなのだ。
“ これは、いかんぞ。少々、まずいことになった。”と思った。
この期に及んで、私はようやく、今まで彼の家でごちそうになった、数々のアラブご飯、コーヒー、紅茶、チョコレートが決して、ただではなかったのだと気がついた。この得体のしれない日本人に親切にしてくれて「家族と思って、いつでも、うちに来てくれていいからね」と言ってくれた意味を、体の奥の部分で理解した(笑)
この出来事について、エジプト人や別のサウジ人にも、話したが、あるある話だということ、それはダメなサウジ人だということ、今時、そんな人事枠が規則としてあるわけはないだろうという話になり、あるサウジ人からは「そういう人と付き合わない方がいい」と言われた。
私は彼らに反論するように、
「いや、あの、すごくいい人たちなんですよ。私のことを兄弟だと言って、ラマダンやイード(お祝い)の時にも私をよんでくれて、家族のように接してくれて…」
そう、私の気持ちとしては、彼の要望に応えられないことに、申し訳なさを感じているのだ(笑)いや~食べ物って怖い。すっかり餌付けされ、恩義を感じているのだ(笑)
確かにいつも思っていたのだ。こんな私によくしてくれても何もお返しできないし、申し訳ないなと。だから、日本に帰った時には、ヨックモックを買って持って行ってたのだけど、彼が欲しかったのは、もっともっとだった。うまくない。気が重いから、言葉遊びも思いつかない。
誤解のないように言わなければならないが、彼が打算的に私に近づいてきたとか、そういうことは全くないと思っている。ここでも、言うが彼はとてもいい人だ。サウジ社会において、自分と違うコミュニティの人間とつながりを持っておくというのは、日本以上に、自分たちが快適に暮らす可能性を広げてくれるもので、「健康のために運動した方がいいですよ」ぐらいの当たり前の感覚で、彼らの中に刷り込まれている。文化的遺伝子みたいなものだろう。だから、彼は何の気なしに、3年前、通りがかりの私を家に招待してくれたのだろう。
私もどこかで、いつまでも「ゲスト(外部)」の気分でいたのかもしれない。そこに甘えてもいた。しかし、おそらく、彼らにとって私は既に「家族(内部)」になっていて、彼らとしては助けを求めるのは当然で、そこに躊躇はないだろう。
「依頼(行動)」の文化差というのは本当に興味深い。おそらく、私が逆の立場(親しい関係)でも、彼らに自分の身内を、職場にねじ込んでくれないかとは頼まない、頼めないと思う。恥、迷惑、そもそも頼むということの心理的負担が大きい。
このあたりが、サウジ人(もしくは彼)と日本人(少なくとも私)とは違っていて、彼は気軽に頼み、私が断ってもそれほど気にしないのかもしれない。
一方で私は、今回、断ることに対して気が重い。サウジ人ともう一段階、深い仲になろうと思ったら、このあたりの「融通」「忖度」ができないと、彼らの核には近づけないのかなとも思う。無理を承知で掛け合うぐらいがんばりが必要なのかもしれない。でも、私にはできない。こういうのは正攻法でやるべきだと思っているのだ。
この後、彼との関係性がどうなるか、わからないが、私としては以前のように、家に誘われても気軽に行くのは申し訳ないなと思うだろう。私は彼らが望むものを何も返せないのだ。
いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!