山本貴光『投壜通信』を読んでいる

(話すように一筆書きのように書いて、言葉遣いの推敲のみでひとまずアップしてみる)
『投壜通信』は、縦横無尽な活躍の山本貴光のテキスト集。うらやましい。ぼくじしんも縦横無尽にあれこれやりたいと願っているが、どうも縦横無尽というよりも好き勝手な感じになってしまう。のだが、山本貴光はまさに八面六臂の縦横無尽。たとえプログラム入門本を書いたとしても(書いている)、その内容はプログラムにとどまらず枝葉を伸ばして一点で突破が世界のすべてに繋がるのを感じさせる。
本書『投壜通信』は『考える人』『ユリイカ』『日本経済新聞夕刊』等いろいろなメディアに発表したテキストを集めた本で、より縦横が無尽だ。歩行の本、科学者の自伝・評伝、ドリトル先生、数学などワンテーマで数々の本を紹介する項が圧巻で、育てる生命の樹。
「この辞書を見よ!20 言葉のアーカイヴ形成史」の項ではいくつもの辞書を紹介してくれるのだが、日本語や英語の辞書だけでなく、仏語、独語、ラテン語、古典ギリシア語、仏教語、サンスクリットの辞書、さらに複数の言語と文化をまたがって言葉や概念が変転する様を見えるようにしてくれる辞書へと、まさに(何度も同じ言葉を使って語彙力がないのかとしかられそうだが)縦横無尽だ。
「はじめに」の冒頭を引用する。
“あるとき詩人たちに教えられて、文章とは一種の投壜通信のようなものだと思うようになった。思い浮かべたことを紙に書いて壜に詰める。壜なら少しは長持ちすると思ってのこと。流れる水に投じれば、どこかに運ばれてゆきもするだろう。ただ、どこに流れ着き、いつ誰に拾われるか、ましてや読まれるかどうかも定かではない。”
引用というには長くなるが、もう少し。
“こちらにできることがあるとしたら、万が一拾って気まぐれに読んでみようかと思う人がいたとき、書かれてから少々時間が経っていても意味をなすように、あるいは書き手と読み手が必ずしも文脈を共有していなくても分かるように言葉を選ぶことぐらいだろうか(それにしたって限度はあるけど)。”
どれだけぎゅうぎゅうに詰まっている壜だ。と驚きながら読んでいる。

『投壜通信』山本貴光著/本の雑誌社

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