芋頭でも頭は頭【リーダーを叩くすべての人へ】
2020.3.29.日 #253日目
植物の魅力は一言では語れないと思っていたら、すべての事象は一言では語れないと気がついた米田こと京都の絵描きよねはんです。
今日は、「芋頭でも頭は頭」について僕なりに話していきます。
頭を張っている人がいくら小集団の頭であっても、ただの小物であると思えても、頭であることに変わりがない。
そういうことを思い直すきっかけになる一記事になれば嬉しく思います。
さて、本題へ。
結構集団の長を目の敵にしてしまう癖を持っていたので、よく長の愚痴やリーダーの愚痴を言って人間関係を崩してきました。
当然、愚痴なんてもんは聴いてる側も心地が悪いからです。
集団の長を務めている人間を悪く思ったり嫌われ役に仕立て上げたりする。
そんな時はあります。
なんなら、その集団は小さくて、その長や頭はジャンケンで決めたようなもんだと思っているかもしれない。
だけれども、
そんな僕らの集団の長は、その人が務めていることは事実であり真実であるわけです。
社長が辞めればいいとか、
総理が辞めればいいとか、
監督が辞めればいいとか、
本当にトップ1人がその集団の責任を持っているのでしょうか。
そう思ってない人もいるでしょうが、なんでマスメディアはそれを鬼の首を取ったように血祭りにしようとするのでしょうか。
見る側が視聴率という形で「とある頭の血祭りを求めている」からです。
よくよく考えてみましょう。
自分が頭になって、良い役回りができるのでしょうか。
あれ?自分ごとにした途端に文句や愚痴が無くなってしまう。
そう。
他人事として、頭を叩いている人間は、それを自分ごとにした途端に叩いて何も得しないという現実にぶち当たるのです。
頭をやってくれていることには変わらないことに気がつく。そして、そういえばそこに「甘えている自分」がチラつきはじめるからです。
まとめます。
芋頭であっても、頭は、頭なのです。
頭を取って代わる気の無い人間が裏で何を文句言おうが、愚痴を言おうが、ただの時間の無駄で、不幸の象徴。
メディアを読む側も、書く側も、頭を叩いて引きずり落とすのは、当然「頭が悪いことをしたからだ」と思い込んでいる。
本当にそうでしょうか。
叩いて対案を出して、上手く頭を治めることのできる器が自分にあるのでしょうか。
小さな集団の嫌われ役としての頭を叩いて何になるのか。
「あのリーダーがすべて悪い」
「あの頭はもう辞めさせろ!」
とか、愚痴と引きずりは人生にとってゴミみたいなものです。
(*口が悪くなってきたぞ)
それより視点を持つべきは、
「そのリーダーに甘えているのは誰か」です。
間違いなく、自分です。
「いや、僕は頭を尊敬しているし、感謝もしている」といえるでしょうか。
口だけで偉そうに他人の文句を言ってしまう中で、特にリーダーや長に嫌な感情を持ってしまうことは少なくありません。
しかし、視点を少し変えれば、自分がそのリーダーや長を手伝うことすらしてもいないことなんて多々ある。
小国のリーダーであっても、リーダーはリーダーであり、リーダーを務めているわけです。
文句を言うなら自分が取って代わる何かをその集団に与えてからにした方が長い目で見ても恥をかかなくて済みそうです。
頭への不満や愚痴は、他人も自分も不幸にする。
そんなことに時間を割くよりも、自分にできることは、やった方が良い。
明日の世界が少し違って見えれば幸いです。ではまた。
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