卒業制作で考えた「スケボーと建築」vol.2
はじめまして。大阪芸術大学建築学科の米田龍人と申します。
今回は、vol.1に続くvol.2ということで、「スケボーと建築」「オルト・フルーイディティーズ」が、どのように設計へと昇華されていったのかという具体的な計画について書きたいと思います。
まずは前回の振り返りということで、vol.1で書いたことを簡単におさらいします。
“都市と身体”という観点からのスケートボードの分析
「スケボーと建築」を直訳的に考えるのではなくて、スケートボーダーの独特な解像度や身体性を都市的に分析した。その結果、スケートボーダーの身体ないし営みは、分断され均質化されてゆく都市を身体的実践において分解し再構築することができるのではないかという考え方に至った。
都市における非通念的下位文化
そこからクロード・フィッシャーの「下位文化理論」をもとに都市における下位文化(サブカルチャー)の分析を行なった。その結果、ストリートでの行為を営みや文化とするスケートボーダーなどの身体は、“排除するべき対象”という認識が強いことや、社会的支配との衝突が継続的に続くことから非通念的下位文化に属しているということが理解できた。
オルト・フルーイディティーズの誕生/光と影
下位文化理論を参照し得た結果をエスノグラフィックかつ政治的に解釈し、彼・彼女らのより具体的な社会的位置づけをした。その結果、ストリートを舞台に都市を流動する非主流的な存在たち「オルト・フルーイディティーズ」が誕生し、彼・彼女らの切実な声を代弁するというフェーズへ移行してゆくこととなった。
ここまでがざっくりとしたvol.1のおさらいです。では、ここから具体的に“何をしたのか”について書いていこうと思います。
まず計画地として決定したのは、大阪府西成区の釜ヶ崎(あいりん地区)にあるあいりん総合センター、通称“センター”と呼ばれる建物です。
この建物は、日雇い労働者の職の安定や、まちの福祉機能の増進が主な目的として建設されました。しかし、道路と地続きにひらかれたピロティや建物内部の空間では、将棋を指す人や寝ている人、楽器を演奏する人や歌を歌う人など、野宿者や街の人によって有形無形の自律的空間が創り上げられ、建物全体が社会の余白的な場所としても機能し、まちと共に育まれてきました。しかし、センターならびに釜ヶ崎の街は近年、日雇い労働者、野宿者の街から観光拠点へと急激に変わりつつあるんです。
バブルの崩壊後、日雇い労働市場が縮小すると、2012年の「西成特区構想」をはじめとする行政による釜ヶ崎のクリアランスが始まり、日雇い労働者向けの安宿「ドヤ」は、旅行者向けの格安ホテルに鞍替えされていきました。その後の2019年4月24日には、釜ヶ崎の大黒柱であったセンターも全てのシャッターが閉鎖され、まちに住む人々の居場所は次々と減少していきました。
僕はこの現状が、起きてしまったこととはいえ決して良いとは思えませんでした。なぜなら、センターならびに釜ヶ崎のまちは、そこに住む人たちとともに育まれてきた場所だからです。まちの想いをないものにしてはならない、そんな想いがあってこの場所を計画地にすると決めました。
センターが計画地になったのには、もう一つ理由があります。それは2019年4月24日、センターが閉鎖された日に起きた「センター建て替え騒動」です。センターはもともと同年3月31日に建て替えが決定され、閉鎖される予定でした。しかし、突然の建て替え決定にまちの人たちが猛抗議し、シャッターが閉まるのを防ぎ24日間にわたってセンターを自治したんです。そして24日経ったあとに機動隊が導入され、センターを自治していた人たちは強制的にセンターからの立ち退きを余儀なくされました。
僕は、この時まちの人たちがとった行動は、建物の尊厳を問う抵抗だったのではないかと思ったんです。つまり、これまでは自身の尊厳を問う抵抗を行なってきた人たちが、「センター建て替え騒動」の時はセンターの尊厳を問う抵抗をしたということです。もしこの抵抗がセンターの尊厳を問うものだったとしたら、センターという建物はまちの人たちの想いやアイデンティティが一つの建築として建ち上がった存在だと言えるのではないかと思い、計画は“センターの尊厳を守る”ことに決まりました。
“センターの尊厳を守る”というおおまかなテーマは決まったものの、肝心のセンターをどう扱うかという設計の初期構想の段階が一番鬼門でした。というのも、計画の対象者となる「オルト・フルーイディティーズ」は、自分たちの感性や感覚で空間を使いこなす能動的な身体なので、彼・彼女らのための空間を設計してしまうと、彼・彼女らの能動性に反してしまって計画が矛盾してしまうと思ったんです。
設計者としてどこまで設計して、どこまでユーザーに自由を委ねるかということが、ここでは大きな問題でした。そこで思いついたのが、「耐震補強」という方法です。老朽化が深刻な建物だから耐震補強をするのは当たり前だと思われるかもしれませんが、計画ではこれまでの一般的な耐震補強とは違った手法を提案しているので、ここからはそれらを含めたより具体的な計画の内容について説明したいと思います。
建築的冗長性/身体的応答可能性
まず、計画を行う上でのコンセプトは「ハッキング」です。社会的に確立された価値や規範をズラし、それらを上書きすることによって、空間を公共性の帯びた政治的な表現の場として計画することを考えました。
また、ダイアグラムにある建築的冗長性と身体的応答可能性ですが、ここでは空間を与えるという設計者としての責任が、ユーザーの身体にも反映されることがあるのではないかと考えたんです。つまり、“与えられた空間に対してどのように関わるべきか、あるいは関わることが正しいのか”という道徳的な関係ではなく、“与えられた空間に対してどのように関わっているのか、関わらざるを得ないのか”という自己のうちにある他者との自然発生的な関係を構築しようと考えたんです。
まず、センターは「西成労働福祉センター」「大阪社会医療センター」「第一市営住宅」の三つのボリュームから構成されています。計画では、これら三つのボリュームに対してそれぞれ異なる耐震改修を行い、合理的かつ恒久的な補強案を提案しようと考えました。また、耐震補強を行う上で並行して考えるべきである人の行為や機能の配置を全て事後的に扱い、センターを構造的に成立させることを最優先に考え補強を行いました。
まずは、道路と地続きにひらかれた「西成労働福祉センター」です。ここでは行政から打ち出されていた「鉄骨ブレース工法」による耐震補強案を採用しつつ、そこに新たな秩序を与え、既成のプログラムを「ハッキング」します。
三次元という秩序を与えることによって、空間は圧迫され不均質になってしまいます。ただ、それらは逆説的に応答可能性(責任)として、自然発生的な身体のふるまいに働きかけるのではないかと考えました。
次は「大阪社会医療センター」です。ここでは、減築によって建築の自重を軽減し、労働センター部分への荷重を抑える耐震改修を行いました。減築案は行政の案のひとつとして考案されていましたが、ここでは建築の基礎のみを残し、上部を減築するという手法をとり、建築を形式を記憶として残そうと考えました。
三つ目は「第一市営住宅」です。ここでも医療センターと同様に建築の自重の軽減と、労働センター部分への荷重の軽減を抑える改修を行いますが、建築自体の減築はせずに構造体のみを残すスケルトン化を行いました。
そして、各耐震改修によって生まれたこれらの架構に対して、次はそれらをどう使うかといったフェーズに移っていくわけですが、長くなりそうなので今回はここまでにして、続きはvol.3で書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回vol.3で完結となりますので読んでいただけたら嬉しいです。
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