見出し画像

この町の大好きな景色

退屈でなにもない町。
家族も鬱陶しい。
胸を張って紹介出来るものも少ない。
とっとと家を出たい。
[地元愛]なんて、かけらもなかった。
今は少し違うが昔はそう思っていた。

ふるさと。
少し調べてみた。
深くゆかりのある場所や物事の事。
との事だった。

生まれや、以前住んでた場所。
癒されたり、落ち着ける場所や物事。
「心のふるさと」
みたいなこともあり得るわけだ。

まぁこんな事、調べなくても
生まれ育った地元だろ!
という方が多いんじゃないだろうか。

そう思う。

だがすんなりと地元について語れない。

乗ってこない僕は色々と考えている。


今でこそ近くにいるが、実家から遠く離れていた時期もあった。

連休は帰省期間だった。
今時期だと年末年始の長期連休。
周囲はソワソワして地元への帰省を心待ちにしていた。

そう、僕以外は。
その感覚がよくわからなかった。

いざ休みを迎え帰省しても
地元に帰ってきた〜。
という安堵感は僕には無いのである。


帰省せずに自分の家に残っていてもいいわけだが、帰るのには訳がある。

友達と遊ぶ為だ。
なんせ学生時代は親、家族より1日を共にした仲間だ。
地元にいる時は友達といる時が一番楽しかった。

なので、帰省しても家に帰らない事も多かった。

帰ったとしても
「ゔ〜」
と無機質な言葉をはき、部屋へ直行。
話す事はほとんどなかった。
また次の日には遊びに出かけていた。

この様に当時の帰る目的は友達と遊ぶ為だ。

会えるなら別にどこでもいいのだ。
地元じゃなくても。
出先で同じ所にいるならそこでいいのだ。

そん位の気持ちなので、地元は特別でもなんでもなかった。

刺激を求めていた時期だったかも知れない。それがかっこいいと思っていた。
そんな中二病大延長戦のハタチである。

今考えると、実家、家族が嫌いだったのが地元愛が欠如している大きな要因じゃないかなと思う。
地元=実家はあると思うし。

なぜ嫌かというと、
自分の意見も聞き入れてもらえず、とにかく鬱陶しくて仕方なかったから。
一人にしてくれ! 自由にしてくれ!
と何度と願っていた。
早く出て行きたかった。

だからか、地元のいい所になんて目が向かなかったのかなと思った。


そんな訳で今。

昔の仲間も家庭を持ち、会う頻度は減った。
必然的に自分の時間が増えた。

僕自身、[落ち着き]というものもついてきたのか、何かしなくては!という気持ちに駆られる事はなくなった。

落ち着いてられると人の話も聞ける様になってきた気がする。

うるさかった親との関係も改善されてきて、会えばそれなりに生活感のある挨拶を交わしている。

姪っ子達と遊ぶ様になり、この町の自然豊かな所にも目が向く様になった。

子供の様に純粋だと、この何もない町のありとあらゆるものが綺麗に見えるのかなと思った。


僕の地元は素晴らしい!と言えるまでには、もう少し時間がかかりそうだけど

この町の景色は大好きだと言える様になった。

中二病大延長戦も終盤に差し掛かっている。

この記事が参加している募集

#ふるさとを語ろう

13,680件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?