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セント・パトリックス・デー

こんにちは。
頻繁に更新が滞るので、気軽にちょこちょこ書く練習を始めようと思います。誤字脱字が増えるかもしれません。ご容赦ください。

今日、3月17日は、セント・パトリックス・デー(St. Patrick’s Day)。アイルランドの守護聖人の日です。イギリスの北アイルランドもこのため明日は振替休日。アイルランドでも多分、明日の月曜日は休日です。

昨晩、BBCをつけたらこの祝日にちなんで、BBCのTop of the Popsという音楽番組のアーカイブから北・南のアイルランドゆかりのアーティストばかりを取り上げた特集をやっていました。私が聞いたことがある人では、U2、Ash、Sinéad O’Connor、 知らなかった人では、The Saw Doctors、Thin Lizzy。
このThin Lizzyの ”Whisky in the Jar” はとても好みでした。アイルランドの民謡のカバーです。Highwayman(昔の街道に出没した追い剥ぎ・盗賊のこと)の歌です。Highwaymanと言えば、娘が国語の時間に習って教えてくれたイギリスのバラッド、その名も “The Highwayman” ( by Alfred Noyes ) も私は好きなんです。どうも懐古趣味のようです。「昔、これこれこういう男がいて、こういうことがあって、こんな結末になった」というような物語になっている詩が好きなのです。Noyesの詩の内容はというと、追い剥ぎをやっている悪い男が村の宿屋の美しい娘ベスとこっそり想いあっているのですが、娘に片想いしている宿屋の下男がその秘密を知って官権に密告するのです。役人によって自室で縛り上げられたベスは恋人の馬の蹄の音が聞こえてくると、自分の胸にあてがわれていた役人の銃の引き金に指をかけ、自分を撃ちます。銃声を聞いた男は危険を察知して引き返しますが、最後には役人に捕えられ殺されるという詩。YouTubeのコメント欄( https://youtu.be/dmMo79zDTec?si=FP50uXFf4GDiiHYJ )から推測するに、イギリスの小学校では定番の教材のようです。娘のクラスでは、ベスになりきって盗賊である恋人についての日記を書くということをしたそうです。恋人の格好よさやベスの心情を詩に出てくるような比喩表現をたくさん使って描写してね、というのが授業の目的だったようです。なかなか大人っぽい題材を扱うんだなぁと思いました。逢引きの場面では子供たちが照れて騒いで、先生に「Grow up, guys!」と一喝されたそうです。

こちら、Thin Lizzy。いい声ですよね。今、ちらっとコメント欄を覗いたら、こんなコメントが。
「When Phil was asked how he felt being Black and Irish he said “like a pint of Guinness.(黒人でアイルランド人であることについてどう思ってる?と聞かれてフィルは「ギネス(ビール)みたいなもんかな」と言ったんだ)”」
素敵ですね!リード・ボーカルである彼の銅像がダブリンにはあるそうですよ。

さて、明るい歌も良いけれど、一番、印象に残ったのは、シニード・オコナーの”Famine” という、19世紀(1845-1852)のジャガイモ飢饉についての歌。「飢饉」なんて自然災害のように学校で教えているけれど、真実は違うという歌。アイルランドは当時、イギリス支配下にあり、国民の大部分であるカトリック教徒は土地を所有することも公的な役職に就くことも禁じられ、イギリスに住む地主の小作としてイギリスに輸出するための穀物を生産する貧しい暮らしを強いられていました。そこへジャガイモの病気が流行って飢饉が起こったのです。アイルランドの人が飢えていても、イギリス政府はあまり積極的には動かなかったようです。穀物法という、地主を守るために穀物の輸入を禁ずる法律があったり、他の様々な理由で。また、この飢饉に乗じて、プロテスタントの教えを受けさせること(改宗)を条件に子供にスープを与える学校をプロテスタント教会が作ったりしたのだそうです。これに従う行為は”taking the soup”と呼ばれ侮蔑の対象になったんだとか。なんてひどい話なんだろう。私が親ならスープを取る。宗教と民族意識が結びついていることが原因だと思いますが、それでもこんなことを人間にさせる信仰とは一体何だろうかと考えずにはいられません。

10年ほど前に「麦の穂をゆらす風」というアイルランドの独立闘争を描いた映画を見たことがあります。イギリス人のケン・ローチが監督。主演は「オッペンハイマー」でノリに乗っているらしい(私は見ていないので噂だけ)アイルランド出身のキリアン・マーフィー。
当時は私に歴史の知識が全くなく、また英語もまだまだだったので話をあまり理解できず、ただ直視できないほどのイギリス兵の残虐さが心に残っただけでした。でも、あれからアイルランド共和国を旅行し、北アイルランドの壁画群や慰霊碑などを直接目にして、少し理解が進んだように思います。
隣国同士の関係というのは難しいですよね。支配・被支配の歴史からどうしても逃れられません。日本と韓国などのアジア諸国との関係が重なりました。アイルランド人が過酷なイギリス支配時代を忘れない一方で、イギリス人の一体どれぐらいが同じ重みで自国の歴史を習うのだろうかと思います。「歴史に無知であること」というのが隣人への敬意を欠く最大の行為なのかもしれないとシニード・オコナーの歌を聴いて思った夜でした。


ありがたくいただきます。