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第14夜 建築・都市が老いることをどう調理するか?| TOPIC3 都市が老いるとは生き物のようである (魚谷剛紀さん/Uo.A 一級建築士事務所)

この記事は、よなよなzoom#14:建築・都市が老いることをどう調理するか?(2020年12月12日)でディスカッションされたものを編集しています。
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都市が老いるとは生き物のようである(魚谷剛紀さん/Uo.A一級建築士事務所)
Uo.Aの魚谷と申します。よろしくお願いします。
生まれは富山県富山市で、愛知工業大学の大学院を修了後関西に移り、宮本佳明建築設計事務所に務めました。そのあと独立して、今は兵庫県で設計活動をしています。
いただいたテーマについてですが、都市に「老いる」という表現自体が似つかわしいくないような、でも言い当てているような、微妙な感じの面白さを新築とリノベーションの住宅を取り上げてお話できればと思っています。

どの地点を老いるというのか
建物としての建築であれば、建築が老いるということは、耐久性や躯体自体が朽ちるということからイメージできると思います。しかし建築が建つことや、それが及ぼす影響は突然そこから始まるわけでも終わるわけでもないと思います。
都市が老いるというのはもう少し複雑で、生き物のようでもありますが、積み重なっていくもののようにも思います。例えば目の前に200年都市があるとします。でもそれは擬人化した200歳ではないですね。都市が更新され続けることをイメージするのであれば、それは成長期かもしれないし衰退期かもしれない。また、衰退というのは人口の減少だけがそれを表す数字でもないと思っています。
老いるということが、どの地点や状況のことを言うのか考えさせられるテーマだと思いました。

デッキプロジェクト
最初にデッキプロジェクトという兵庫県神戸市にある住宅の話をします。大阪と神戸の間、阪神間とよばれる地域は、山と海の間を細長く斜面が続くような地形をしています。
説明の前に少し三佛寺投入堂の話をします。誰かが投げ入れてつくられたようだという謂れのあるお堂です。

画像2@Uo.A一級建築士事務所


設計時にこれをイメージした訳ではなかったのですが、後から他の方に言われて、自分も少し似ているなと思いました。お堂を造ったのは当然すごいと思うのですが、投げ入れさせたこの穴、くぼみ自体に興味が湧きます。お堂を投げ入れたくなった、もしくは投げ入れたら崇拝的に良いのではないかと誰かに思わせた。そのように見ると、この岩壁や窪みがインフラだなと思えてくるのです。このようなきっかけが、何かをつくらせる、使わせる始まりに成り得るということを考えていました。
ではプロジェクトの話に戻します。
小さいですが、赤くプロットしてあるところが敷地です。元々、山だったところが切り崩されてゴルフ場になり、コースをつくるために切土がされていました。そのゴルフ場がバブル崩壊で閉鎖され、いったん緑が増え、さらにそこが再度宅地化されるという経過を辿った敷地です。住宅地になる場合は、今度は逆に盛り返されたりして、フラットな場所がつくられました。

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ゴルフ場跡住宅地の道路計画です。普通のグリットではなく、地形をなぞらえていることがわかると思います。できるだけ高低差なくしてつくられています。
宅地造成の時に、30度の角度で擁壁をつくらずに崩れ難くするため、安息角を保った法面勾配が決まります。切土の後、法面勾配で全体を合わせるために再度、盛土がされているという敷地です。


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先ほどの曲線の住宅地ですが緑地計画もあり、周辺は少しファンシーな雰囲気で立ち並ぶ場所でもありました。
下の写真の左側に建設のフェンスがある所が敷地です。ここから一気に目の前が斜面となるような、ちょうどエッジ部分の敷地に計画しました。

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これが建設前の写真です。安息角を保ち盛り返された土による斜面が出来ています。

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地目が山林のエリアがあったり、上部には歩道があるためにセットバックしなければならないなど、法規制を鑑みると、2mくらいしか平場が残らないような土地でした。

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この安定地盤面と書いているラインより下が、従来、地山の土地で、その上が盛土部分です。

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当然、斜面地に建築する場合に、平場を造るのであれば、擁壁を建てるとか、大きな掘り込み方をして強固な地盤面を得る、あるいは、深く杭を打つなど、いくつか土木的な処理の選択が可能です。しかし、建築のコストが限られていることもあり、そういった選択肢は取りませんでした。もっと、何か、建築の建ち方、みたいなことから考えることができないだろうかと思いました。ここに見えている基礎の断面が、そういったことから考えた結果生まれたものです。
僕も後で構造家の方に教えていただいたんですけど、今回採用した土木処理は、基本的に上の土止めをしていて、この底盤で摩擦面を増やしながら、上からの力を下に流し、安定地盤面に力を伝達する、もたれ擁壁というものです。
建築の基礎自体、フラットなところに建てるとしても、斜面地に建てるとしても、上部の木造に比べても圧倒的に強固ですよね。建築の基礎ってもっと頼れのではないかと思います。いろんな力にも基礎を使ってやることで、上部の木造も軽やかに造ることはできないだろうかと考えました。
これが地階のスペースです。擁壁そのものが、生活スペースであったり、その下を活かしていく流れのようなものとして作りたいと考え、こういう形状を導きました。

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これは構造モデルです。

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もたれ擁壁自体は普通の擁壁に比べて、コストを抑えることができます。ちょっと立派な基礎を作り、その基礎に頼ることによって、軽やかで安価な上部を造るということを考えています。上部の木造は基礎のウエイトにもなり、上部の木造を引っ張っているブレースは基礎までもっていきます。基礎で固めながら、上の木造を固めていく、そして軽やかな木造を乗せる、ということを考えました。

これは平面図です。左側が一階基礎でBASEと呼んでいる場所です。上部には少し浮いた生活空間があります。

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BASEというのものを活かしながら、建物をつくり難かったり、使い難い敷地の下の部分まで段々と生活が広がっていくような、住まい方ができるのではないかと思いました。この設計では、基礎であったり、地盤というものから建築の建ち方を考えて計画しました。それと同時に斜面の使い方、生活の在り方みたいなことも、建ち方によって何か示せるのではないかと考えて進めていきました。


斜面地で住まうことの汎用的な提案

これは先ほどの断面と同じものです。

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敷地の中に緑地や山林があり、建物ができなかったり、排水などのインフラを考えても、下の方に建物をもっていくのは難しいです。その中で、BASEという基礎を活かしながら、生活をどんどん下に降ろしていくようなことイメージしました。
デッキプロジェクトと呼んでいたのは、上部がデッキのような作り方、というのもあったのですが、斜面の中継地点のようなところにデッキとして平場を設けていることも理由にあります。そうすることで、すぐ下に物置のような場所、小BASEが増えていったり、そこに腰掛けられる場所になったりしていきます。
建物の建ち方を考えながら、斜面の使い方にリンクしながら使っていくと、どんどん勝手に場所が増えます。下の方になってくると公共緑地みたいになるのですが、そこも黙って浸食していって誰かに怒られるところまでいけるのではないかと思ったり。こういう使い方ができるのではないかと、住まうことを通して示せると楽しいのではないかと考えました。

これがその立ち姿です。下の擁壁が見えます。上に木造が乗っています。

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これは一階のBASEの部分です。中に入っていくと擁壁があって、地盤があります。

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見返すとこのような感じです。道路が下に接続してどんどん下に降りていくようなつくりになっています。

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斜面側を見るとこのような感じです。手前にデッキが増築されていて、その下に草刈り機とかじょうろとかが置かれて、どんどん下に降りていくことが実際行われています。

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これは2階です。2階は眺望も開けています。

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この写真は奥に隣の建物の擁壁があって、対比的に見えていると思います。

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つくられるものの在り方を考えています。それは、当然その地点から始まっている訳ではなくて、地盤が持っていた歴史なども見直しながら、ここで住まうことの提案をする必要があります。その延長に、この敷地に限らず、斜面地で斜面を「使う」、ということに対しての、汎用的な提案にならないかと考えました。
これは接道から見た立ち姿です。先ほどの街並みに、平屋のように現れます。

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少し離れたところから見ると、浮いているような立ち姿をしています。斜面とのつながり方を意識させる姿になっているのではないかと思っています。


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建築が老いるという、時間軸の話なんですけれど、我々が設計を依頼された時点から始まっているというのではないと思います。色んなものを読み解いたり考えることによって、自分が設計を通して携わってきた期間のみならず、建築が存在する期間以外のことに対しても、何か提案やトライができるのではないかと思っています。それが都市に繋がっていると思います。
時間的な射程というのは、個人の建築家に限らず、いろんな人で共有できるとも思います。老いるという擬人化的な表現に対して、みなさんで共有できるような趣もあるのではないか、ということが、今回いただいた問いに対して考えていたことです。

リノベーションにおいて都市が老いるとは
先ほどは新築だったんですが、今度はリノベーションです。敷地は兵庫県の龍野市というところで、竣工後の写真です。

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姫路城のある、姫路から30分くらい電車で北上したところにある敷地で、古い城下町です、多くの古い建物が残っています。設計期間中に重伝建になり、設計にも景観条例などいろいろ縛りがあるエリアでした。その中にある、ある時期に表情が足された看板建築として残った建物です。

これがその敷地です。

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真ん中に屋根が書いてある部分が敷地で、裏の方は建物がなくなってしまったんですけど、右下に見えているのは揖保川です。揖保乃糸のそうめんで関西では有名だと思います。そういう綺麗な川が流れているところで、昔は通り庭が揖保川まで繋がっていたのですが、次第に敷地が分割されて、今は殆どなくなってしまいました。

これは龍野の街並みで、きれいに改修されものが、規制前の建物と並んでいます。

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経済性が高かった時代があり、建物の更新も盛んに行われいました。看板建築的なものが、和小屋の小屋組は残しながら、洋風なものとして現れています。
単純に衰退した都市というと、純保存的に古びた街並みが残っている、更新さていない可能性は高いと思います。一方で、人々が生活していたり、経済性があって、更新されてきた場所というのは、ど手が加えられていて、その時代時代の建て替えや改修が行われています。実際、この地区も、昭和の40年くらいまでは経済力があったエリアで色々と改修もされてきました。そのあと活気がなくなってしまうのですが、これはこれで趣もあるし、何を残すのか、まち全体で考える必要があると思いました。

これが改修前の佇まいです。

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この看板の「極東ノート」は、今はなくなってしまったそうですが、有名なメーカーだったそうです。このような看板も、今の景観条例だとこの色使いもできないし、取り外してしまうともう掛けられません。
しかも、この混在する街並みというのも、龍野の隆盛を見せた、その時期を示していたものでもあるので、それを失くしてしまっては寂しいということで、残そうと判断しました。
中はこのような感じで、町家の骨組みが残っていました。

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既存のプランはこのような感じです。

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天井を空けてみると、立派な梁組や小屋組、昔の土壁が出てきました。登記されている明治より前から建っていたので、建立は江戸からかもしれないし、何年前かはわかりません。200年前ということはないと思いますが。響きでいうと100年って何かありそうな気がするけど、改修の対象としての100年前というのは、昭和平成を跨ぐとすぐ100年になりますから、比較的に身近なスパンだと思っています。
とはいえ、自分がこれに携わる機会が来た時に、これを全部変えてしまうだとか、補強で固めて見えなくしてしまう、ということは憚られるなと思いました。

リノベーションを可逆的に考える
リノベーションにおいて更新性は大事だとは思っているのですが、このとき考えたのが、可逆的な考え方も必要だということです。自分の時にはこういう改修をするけれど、誰かが次受け継いだ時に、江戸時代風に戻してもいいし、もう一度計画を見直してもらってもいいなと。リノベーションというのは、受け継がれたものに対しての終着ではなくて通過点だとすれば、その時にどんな風にこの建物に接するのが良いのかを考えました。
これは構造モデルです。

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貼られていた天井より下の部分は、何回か改修された後がありました。でも、誰がどのようなタイミングで改修したのかはわかりません。天井より上は割と昔のままだったので、上は残したいと思いました。全く触らないというわけにはいかないので、それを補完しながら耐震性能であったり、生活のある環境を担保したいと考えて計画しました。

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これは先ほど見せたものですが、文字通り看板を下ろさず、街との繋がりや痕跡といった関係を考えています。

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平面的にはそれほど大きな変更はせずに、通り庭を場所としては残し、部屋はつくりませんでした。次、改修するときに、元々の町家のように看板を下ろして、戻しても良いし、通り庭を復活させても良い、川まで繋いでもらいたいぐらいです。残せる可能性を示しながら、今使う人の快適性につながればいいなと考えて進めていきました。

これは内側から見返した部分です。

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元々文具屋さんをやっていた店舗の部分があって、その部分を少し残しながら、手前を開くことをしました。少し高齢のクライアントが住まう住宅だったので、街の人がその文具店に入ってくるような、街の奥行みたいなものを残したいと思っていました。

上に見えているのがブレースです。

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中に入ると仮想天井のようなものが見えてきますが、その先に見えているのは、いつ造られたかわからない古さのあるもので、ボルトで止めてはいても、どこかのタイミングで外す必要があれば、外してもらってもいいと思っています。

これが先ほどの通り庭を上から見ています。

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少し演出的に見えるかもしれませんが、クライアントの関係で、運よく、作庭家の重森千青さんに協力していただける機会がありました。
建物の中に白砂を敷いて、砂紋を描いています。枯山水的なものは、外部を眺める庭として意識されることも多いですが、内部の庭としてつくっています。視点を変えれば、砂を敷いているだけなので、床にしようと思えばいつでもやめれます。通り庭を「庭」として見ながらも、少し関係を変えるながら新たな要素を足したような状態にしています。

奥行きのある町家は中が暗くなるので、光を取り入れながら入れ子にして、内側の部分では冷暖房をしっかり効かせ、外の部分はある程度開放的にしています。中間期においては通り庭の部分は開けて、川からの通気をしっかり確保することで、町家の良さも引き戻しています。

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トップライトも開けていますが、野地板を戻せば屋根も塞げます。耐震性能を考慮して金属製の瓦に変えていますが、本瓦に葺き替えようと思えば葺き替えられます。そういったことも可逆性を持たせながら今の建ち方を試みました。
商店街に人の行き来がなくなり、部屋の造りやシャッターなどで閉ざされた街並みにも、可逆的な作り方をしながら、街に奥行を与えていきました。
可逆というのは、単に後戻りすることを考えるのではなくて、更新の方法としての選択示せないかと考えています。通路に対しての奥行だったり、人との関係を新しく足しながら場所をつくり、商店街の中では一番古い小屋組みを見れる場所にしていたり、どのように街と関係するかの試行錯誤をしています。特に、重伝建に贖って見えるところもあるので、考えざるを得ないこともありますが、可逆性ということを変化の流れの中で示したいと思っています。

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これはトップライトのところです。内側に光を入れていますが、後で塞いでもらってもいいと考えています。

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これがプランです。

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これで終わりますが、最初に言ったことに話を戻すと、
老いるということに対して、建築を造ることであったり、都市との関係を考える中で、どの地点、ありはどのような様を老いるというのか、というのが論点だと思います。更新するだけではなく戻ることも成長であるというか、いろんな視座を示していって、それが複合的に成長させるようになれば良いと思っています。上手くいけば、それは都市の終わり方になるし、発展するようにもなる。
敢えて老いるということを言うのであれば、時間の過ぎ方がどのように提案されるのかが、多くの人と共有できるような要素になるのではないかと、今回思いました。


(以下、ディスカッション)
廣岡:すごい面白いです。今の最後の話も含めて捉え方が生態学的というか、生物というものではなくて、生物の種に近いような物の見方だなと思いました。人間という種も2000年前と今は微妙に変わってると思いますが、人間という種自体はずっと続いてきています。その中でも、関係性の中で続いてきているものと、個別の種との違いは確かにあると思います。今ある関係性は大切にしつつ、どの時代でそれが変出したのかよりも、どこでも戻れるというようにするというのは、相当、俯瞰的に見た視点だと思います。老いるというのが個別的な話だとすると、もっと広い視点で見た瞬間に生物として次の進化に行くのか、ここで絶えるのか、一つの種の話に近いようなことだと思いました。
今日お話しされた二つのプロジェクトとも、ある種の種的なタイポロジーがあるのが面白いなと思いました。擁壁が地形とどのように建築をつくるのか、や、斜面地をどう使うのかなど。更には、人間が生業のために作り出してきた新しい種が、元々あった種と並列に存在している、今の都市のダイバーシティをどういう風に活かすのか、という話まで展開していて、面白かったです。
魚谷:今返答いただいたのが、僕もまとめになって良かったと非常に思っています。種と言っていただくと、すごく納得できます。個体であればそこに始まりと終わりがあるけれど、その進化の流れとして見るのなら、それはどういう地点なんだろうとまた話が広がっていくなと思いました。

廣岡:内山隆さんという哲学者の方の時間の話が面白くて。「時間についての十二章」を昨年読んだのですが、時間というのは関係性だと言っています。積みあがっていく時間と、循環していく時間の二つがあるという話でした。循環していく時間というのは農村部とかに見られる、脈々と関係性だけが続いていくような時間のことを指しています。西洋的な、物や歴史がどんどん積み重なっていく縦軸の時間とは全然違う時間感覚が農村部にはあって、日本ではそれをすごい感じると言っていました。
そういう時間の捉え方は関係性の中でできていて、関係性というものがある種の日本性を感じます。ここで日本なのかという話は少しナンセンスかもしれませんが、関係性というものが、時間をつくっているというのが、生態的に変化していく様も、建築を設計していくことの中で規定していくのとは少し違うもので。種をつくっていくという話は、先ほどの斜面を使うことの汎用的空間という話がまさにそこだと。誰でも使える、汎用的であるということは、普遍化、理論化とも同じ話だと思っています。それが理論化され、形式化され、みんな使えるよという状態がこの龍野の話にもありますよね。その視点をずっと持ち続けているドライさとか、完璧な感じが、すごい世界の広がりを感じさせると思いました。今日の話を聞いていると、みんな明日から斜面地設計できるんじゃないの、みたいな。笑。それが面白いです。

魚谷:関係性という言葉を使っていただくと、それが残すものはやはり骨格であったり、そこから読み返せるものや、痕跡を残すようなものですよね。そういう試みはみなさんもされてるのではないかと思うので、後でまた話していけたらと思います。

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編集:天野春果、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)

校正:魚谷剛紀

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