第12夜 建築家と構造家の間の議論|TOPIC4 構造設計をするということの役割(金田泰裕さん)

この記事は、よなよなzoom#12:構造家と建築家の間の議論(2020年11月13日)で、ディスカッションされたものを編集しています。

構造設計をするということの役割(金田泰裕さん)

久しぶりに建築の方と話すので、若干緊張しています。ご存知ない方もたくさんいらっしゃるかと思うので、簡単に私が辿ってきた経緯を紹介しようと思います。よろしくお願いします。

構造設計者として独立するまで


スクリーンショット 2021-05-08 0.34.10©︎yasuhirokaneda STRUCTURE

私は芝浦工業大学建築工学科の丸山洋志さんという建築家の意匠研究室出身で、その後、構造家の鈴木啓さんの事務所(ASA)に行きました。鈴木啓さんは、小西さんと同じ佐々木睦朗さんのところで修行されて、仙台メディアテークを担当した方です。そこで5年間、構造設計をゼロから学び、80件ほどプロジェクトを担当しました。
30歳で独立するという漠然とした目標があった中、5年の修行を終えて27歳、僕は大学院に行っていないので、同年代の人たちと比べると2年間の猶予があると感じていました。ASAでの担当作品は住宅中心のプロジェクトだったので、独立するに当たって、より大きな規模をやっておきたいと思ったのと、構造設計者もこれからは海外で経験を積みグローバルな視点をもつことが必要なのではと考え海外事務所にアプライする事に決めました。場所は、住みたかったパリに限定しました。
「SANAAがヨーロッパの現地で設計する際に組んでいる構造事務所、Bollinger+Grohmannがパリ支社を持っている」という情報を鈴木さんにもらい、ホームページのメールアドレスからアプライしました。30件くらいメールを送っても返ってきませんでしたが、でも諦めず「夏休みに会いにいける」と送ったらすぐ返事がきて、「来れるなら面接するからきて」ということになりました。
当時、英語は全く話せなかったので聞かれることなどを想定して、英文をつくって丸暗記して、そこであるだけの経験と思いを語りました。その場で、運よく採用しますと言ってもらえ、翌年すぐパリに行ってその事務所で働き始めました。最初は、英語が全く話せないことに驚かれましたね。面接ではあんなに話せていたのにという感じで。笑。
ですが、構造の設計に関しては自信があったので、仕事で解析を早く終わらせて図面化して、二日後くらいにできたよとボスに見せると、英語は話せないけどやれるな、という評価をいただき、その後2年間、様々なプロジェクトを担当させてもらいました。

その後、日本で独立するかも考えましたが、日本の独自文化である「構造家」というスタンスで、海外で独立するのも面白いかもしれないと思い、2014年にパリで独立しました。
しかし、みなさんも想像ができるとは思いますが、ヨーロッパではなかなか新築が建ちません。同年代の若手の建築家は、大体が、内装やインテリアの仕事とコンペにチャレンジしていくという形です。なかなか厳しいかなぁという状況ではありましたが、独立したことでアジアや日本のプロジェクトが増えていき、それもあり、2016年には香港に移りました。その後、2人の子供の子育てのことを考えると次はヨーロッパに住みたいと思い、去年、コペンハーゲンに移ってきました。

海外で構造を考えること、日本で構造を考えること。

海外での経験を通して自分のテーマになるものをいくつか羅列してみました。一つ目は「水平力からの解放」です。日本は地震や台風があり、基本的に構造システムは耐震計画という水平力に対しての計画がかなりの割合を占めます。一方、ヨーロッパでは、目の前に見えている「重力」が構造体を決定する上では支配的です。そのような環境で設計していく中で、日本における「耐震要素」の在り方をもっと考えなくてはいけないと思うようになりました。日常的にはブレースや壁は、99.99%くらいのほとんどの時間は効いていないわけで、その存在のさせ方は重要であり、慎重にならなくてはいけません。そういう意識でいくと、闇雲に「細いブレースをいれましょう」(あるのに無い事にする)とはならないはずです。

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二つ目は構造エンジニアと、構造家の職種の違いです。日本の場合は工学部の建築学科で意匠も構造も同じ教育を受け、4、6年経って自分の進路を決めていくわけですが、ヨーロッパでは建築ではなくエンジニリングの学校をまず選び勉強し、その後に建物のエンジニアリングを志望し、その分野に就職していくというようなプロセスが多く、日本のように、建築家になりたくて建築学科に行き、構造を選ぶというような人はなかなかいないです。一方、建築家サイドは建築学部、アートやデザイン系の学部に属し、工学的な構造力学は学ばない場合が多いです。そのため、ヨーロッパでは建築家と構造エンジニアがお互いに理解し合うのが難しく、フラストレーションを抱えています。日本はむしろお互いが歩み寄れるので、それは関係が違って当然ですよね。

もう一つは、「制約」についてです。材料ひとつとっても、木造をつくるための木材の流通や技術がない国(フランスもそうでした)は多いですし、場所打ちコンクリートがほとんどできない国(デンマークは顕著)では、PCコンクリートで梁・柱・スラブを鉄骨の鋼材表なカタログから様々な種類の中から選ぶことができます。中国では鉄骨造のボルト接合は予めボルト孔を計画して、工場で空けてきても全く合わないので、結局すべて現場溶接で帳尻を合わせてしまう方が短期・安価におわるということもあります。法規も国によって違いますし、荷重条件は気候風土によって異なってきますが、僕はその「制約」をかなり楽しんでいます。各プロジェクトで違う「制約」があるからこそ、そこでしかできない建築が出来る。ぷロジェクトの初期段階には、ローカルのエンジニアや建築家と議論して整理していくなかで、そのプロジェクトにおける「自由」度を計るところから始めます。

次は「断面サイズとラグジュアリーの関係」です。日本の建築の構造で言うと、2000年前後から柱の細さがものすごく小さくなる流れが妹島さん・佐々木睦朗さんの協働を筆頭に盛んになりました。しかし海外では、部材が薄いことや小さいことは、弱さ・脆さを意味する場合があります。妹島さんたちはそういった価値観を打ち壊し、繊細で美しい構造体というのを提案し、インパクトを与えたと僕は位置づけています。壁厚は厚くて当たり前、支えてあるものはしっかり支えていけるべきという価値観に妹島さんたちがオルタナティブな建築のあり方を提示し、それが時代的にもフィットしたといえるのではないでしょうか。

続いて「素地・現し」。日本と海外ではものが仕上がっていないことに対する価値観が違います。例えば海外の人にとって安藤さんのコンクリートの打放しはかなりショッキングでした。室内は大理石や木材などで仕上がっていることが家として豊かなものだという認識がありますが、日本では手を加えられないそのままの状態が美しいとされている部分はありますよね。それは200、300年という単位で我々が培ってきた美学だと思います。

これは海外とは関係のないことですが、日々色々なことを整理したり設計していく中で意識していることは「要素を分解・結合」です。必要な要素と結合することや、複数の機能を備えた一つの要素を分解して別々の要素に割り振っていくことを意識しています。

続いて、「最適化」についてですが、物事が最適化されていくに常に疑問を抱くようにしています。たとえば、柱が極限まで細くすることは、そこに掛かる荷重と端部条件や力学的な検証の上で、支えているはずなのに、あたかも支えていないかのようなプロポーションにより緊張感を得るわけです。一方で、支えているものは、支えているようにむしろ必要断面よりもデフォルメするくらいの方が、緊張感がでることもありますよね。どのような柱のあり方が、その建築の空間にとって豊かなものか、という見極めが重要だと思っています。なので、細い柱にして欲しいと言われた時には、なぜ細さを目指すのかという議論を建築家とし、「極限まで細くする」「存在感を出す為にマテリアルを変えて断面を大きくする」「そもそも柱を無くしてしまう」など、極端な思考を広げていって解を導きだすようなアプローチが僕は好きですね。


構造家とは何か。

前置きが円酒さんと比べて長くなり申し訳ないですが、自分なりに構造家とはなんなのか、建築家とはなんなのかを考えてみました。僕は基本的にこれに尽きると思っています。

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「構造家は、建築家にとって最も身近で、客観的な視点を与えられる立場なのではないか?」

建築家はお施主さんの時間の管理や設計コンセプトにものすごく労力を費やします。構造家はそういうものから一定の距離感をとって設計に携わることができます。これは設計のチームとして大きなメリットです。客観的な視点とともに「批判的な態度」をとることで建築や設計対象に「価値づけ」をすることができます。この「価値づけ」が、僕の中でかなりキーだと思っているわけです。
僕は海外にいながら日本のプロジェクトが7割ほどあります。物理的な距離を日本から取ることも、このような視点の強度を上げるための理由のひとつです。日本にいると皆さん無意識のうちに慣習や時代性が入ってきてしまうと思いますが、そういうものから距離を置くことで、「本当にそれが正しい方向性ですか」というスタンスがとれる。

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ここ数年、批評とはなんなのかいうことをテーマに、いろんな本を読んでいました。イギリス人の芸術の批評について書いている教授のノエルキャロルさんが書いた本の中に、まさしく、こういうことだと言い当ててくれるところがありました。
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批評の主たる作業は「価値づけ」である。
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その価値づけの作業を補助する役割として記述や言語化、文脈付け、分類、解明、解釈、分析などがある訳です。
建築家と仕事をしているとき、彼らの思いやプロジェクトに対する姿勢について、価値づけするという役割が構造家にはあると思います。

その「価値付け」という作業、「物事の支え方」とも関連があると思っています。「物事を支える」とは、我々がその建築を通して、何を目指しているのか、何を達成したいかを見極めた上で、それをどのように支えていくか(抽象的な意味)。僕は社会的には構造計算をする立場で、それに対してお金をもらっているわけですが、建築家と構造家の関係を掘り下げ、抽象概念としての「構造」を手段として使いながら、「価値付け」をしていくことができるのではないかと考えています。

と、ここまで、今回のテーマが構造家と建築家の進め方ということでしたので、403だけでなく他の建築家も含めてどのように建築家とやりとりしているのか、その前提となる考え方のお話しをお伝えしました。

ここからは403 archirecture [dajiba]との協働のお話をしていきますね。

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編集:中井勇気、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)

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