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#よんなな朝の歌 ’23.1⑥

2023.1.16 山崎まさよし「Good morning」

おはようございます。時計を見て焦りながらの朝は嫌だなと思いながら…慣れない出張先に車を走らせようとしています。良い朝にしたいなあと思いながら、この歌の主人公のようにパタパタパタパタ。。 ナントカナルサの気持ちで頑張ろう。
今日の気分は…山崎まさよし「Good morning」
午前7:41 · 2023年1月16日

 この歌の情景を山崎まさよしの姿で再生すると、実にコミカルな感じ。多少のずっこけな感じと、そこはかに感じる素朴さの曲のイメージに鮮やかにマッチしてくる。この曲に限らず生活を切り取るような山崎の楽曲は、下積み時代にひたすら楽曲を書き溜めたエスプリが込められ、それが一貫性を持っているからこそと感じている。
 2000年~2005年頃、飽きもせずに山崎まさよしばかり聴き続けていた。コンビニへも1時間以上走らなければないような山奥の小さな町から東京に自分の身を放り出したけれど、都会の気ぜわしさよりもむしろ心を落ち着かせるような楽曲に惹かれたのは、どこかで純朴な人間でありたいと思ったのだろうか。そんなことをふと思ったり。
 格好良さの反対側の美学、とでも言えるのだろうか。そういう言い方をしたら生粋のファンに叱られてしまうだろう。しかし誉め言葉としての「野暮ったさ」は、山崎まさよしから差引いたら特徴のないシンガーソングライターでしかなくなる。他人の心をぎゅっと掴む方法は数々にあるけれども、画一的な格好良さとは違うアプローチがあってもいい。山崎の楽曲づくりは、そのような示唆を与えてくれる。
 だからこそ、どのような世界でも画一的な方法論で物事を進めようとしたら齟齬が出ることは、ちゃんと踏まえ置いた方がいい。流派が違えばプロセスも違う。そこに固まった正しさはない。誰かの「好き」に寄り添うことが答え。それ以上でもそれ以下でもない。

2023.1.17 Mr.Children「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」

28年前の朝はインフルエンザで苦しんでいた。学校で異変を感じ、早退をして診断を受けたっけ。その日からずっと地震のニュースを見ながら休んでいた。あの日から28年。42年も生かされていることに感謝、亡き方々に心からの黙祷を。
今日の朝の歌は…Mr.Children「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」
午前7:08 · 2023年1月17日

 1995年1月17日。中学2年生だった私は少し重めの風邪をひいていた。あまり自分の病状を把握していなかったが、学校で出席の点呼を取るなり自宅に返されることになった。今思えば見込みの甘さは甚だしいが、病院でインフルエンザの判定を受け、即時出席停止の憂き目に遭った。その時点でうっすらと「西の方で大変なことが起こっている」とは聞いていて、その後の数日間は実家の居間で日々刻刻に変わってゆく震災の状況を指くわえて見る日々となってしまったという思い出が、今でも思い出される。
 その年の夏に発売されたのが、この曲だった。震災復興の過程で多数のボランティアが神戸の街に集結し、その姿をして「ボランティア元年」という言葉が流行した年にもなった。同時に、義援金の寄付なども一般にも認知されるなかで、「販売諸経費を引いた利益を義援金にする」方法で寄付につなげたのがこの楽曲。当時のミスチルの認知度を考慮しても、十分余りある金額が寄付されたと想像される。発売枚数181.2万枚。
 いま改めて楽曲の歌詞を読み込んだら、実はその崇高な理念がすっ飛ぶほどスケベな歌だったのは、少しばかり笑ってしまった。「ねえ変声期みたいな吐息でイカせて 野獣と化してAhAh」って、結構ぶっちゃけているじゃない?と、妙に感心してしまうほど。その逆説的な逞しさを感じるからこそ、そもそもの歌の良さで買える歌だったとも言えなくもない。

2023.1.18 高野寛「See You Again」

おはようございます。朝から幸せの中にいる人や、お別れの予感を呟く方も。バーチャルの中だけど、タイムラインは交差点です…。何度も死に目から帰ってきた自分としては、 Againがあるだけ儲けだと思うの。縁が切れた時は「じゃ、またね」。
今日の一曲は…高野寛「See You Again」
午前7:33 · 2023年1月18日

 何度も死にかけているよんななにしてみれば、お別れの末尾に「Again」がついているだけ良かったねと思える。命が尽きていたら、そこで終了。次はない。その次はない状態を2回経験したら、実は怖いものはない心境にはなっている。一度は好奇心から側溝で匍匐前進して挟まってしまった3歳の日。小学校の正門の下、助けてと声を上げていたら小学生だった何処かのお兄さんが先生を呼んできてくれて。確か、松井先生が側溝のふたを開けてくれて。2度目は23歳の春に近い北海道。帰りを急いだ足寄の道で、ブラックアイスバーンに足を取られてクラッシュ。どちらにしても、打ちどころが悪ければ死んでいた。
 自分には「Again」が残されていたことに、後々気付く。死ぬことについて恐れをしていない反面で、まだ自分にすることが残されているからこそ、自分のやらかしにも天は手を差し伸べている。そういう気持ちを持つようになった。
 自分のお気持ちを押し付けるつもりはないが、タイムラインで別れを告げた人たちに向ける言葉としたら、「命があれば、Againがある」。どこかでまた会える、笑顔が戻る日が絶対来ると信じたいのだ。だからあくまでもレールのように離れていっても、だけど好きだと恥ずかしさもなく言えばいい。
 笑顔でその日を迎えられたらと切に願う気持ちは、去り行くあなたに届いているだろうか?敢えて追いかけはしないけれども、いつか会えた日にそれとなく聞けたらいいなと思う。

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