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糖蜜に漬けたオパール、クリーム塗れの星空

強く握り過ぎて壊してしまうから、誰かを好きでいるのに向いていないと気づいた。
プレゼントを贈るのは好きだ、いつだって溢れ出しそうな好意を肯定される気がするから。

十二月に入って、サンタクロースの足音のようなBGMとともに、街は煌びやかに飾りつけられていく。華やかな風景を眺めながら、立て込んだ仕事に追われる日々に、疲労と充実感を噛み締めている。
「当たり前」を当たり前と言いたくなくて、幸せならそれでいい。人生は意外と長いけれど、関心のないことに浪費するのは勿体ないから。

最近は友人の結婚式に呼ばれて、どこか非現実的な幸福に浮き足立ったりした。恋愛に夢をみるには経験が増えすぎたけれど、誰かが幸せになろうとして前を向く様は美しいと思う。あなたたちにはあなたたちの幸せがあればいいね、と思った。それは私には縁遠いものかもしれないけれど、結局幸せなんてものは主観的で、あらゆる他人から遠いところで成り立っているようにも思う。

クリスマスのオーナメントが美しく輝いている。お菓子のようにも、童話のようにも見えるモチーフたちは、ひとつひとつに物語を抱えているのだろうか。思い出なんて、ジンジャークッキーと同じように食べ終えたらなかったことになるのだけれど、眩い記憶を反芻して生きていく絶望に耐えるのだ。

恋愛ができたらいいのかもしれない、と幾度となく考えた。どんな人柄なら、性別なら、出会い方なら、関係性なら。それらはいつだって思考実験の域を出ることはなかった。
考えれば考えるほど、根っこで他者を信じられない自分が浮き彫りになる。最善策は何度考えても変わらないとわかっているのに、悲観的になるたびに依存的な思考に振り回される。
もしも私が人を信じられたら。親に、あの人に愛されていたら。何か変わっていたのかもしれないし、結局同じ選択をしたのかもしれない。
でも、どんな選択をしたところで、一人で眠る苦しい夜はあるのだろうし、身を焦がす言いようのない寂しさからは逃げられないだろう。

長い溜息を一つ、イヤホンをつけて目を閉じる。そこには満天の星空と、真夜中の静寂が広がっている。木の葉の揺れる音、川のせせらぎ、梟が静かに呼び合う声。
ほら、ここには誰もいない。私だけが私の幸せを知っているよ。

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