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本を半分だけ持って


昔、辞書を覚えては破り、覚えては破り、破ったページは捨てる、あるいはタバコの巻紙にして吸ってしまう、あるいは猛者は食ってしまう、等々の話。
ほんとうにそんなことしていたのだろうか。話としてはよく聞くのだが。
まぁ、話としては、であって、実際安くはない辞書の類をそんな風に消費してしまう人がそんなにいたとは思えない。「それくらい暗記とは不退転の志でやるものだ」という喩えを、真に受けてやってしまって後悔した人ならいそうではある。

似た経験ならばしたことがある。

学生時代からよく読んでいた新潮文庫の梶井基次郎『檸檬』。おそらく元から古書店で買ったものだったのだろう、買って20年としても、20年でここまで傷みはすまい、というほどに、たしかにくたびれた本ではあった。
ページは黄ばみ、背の糊も硬化して割れかけている。
京都に出かける用事があり、京阪電車の車中で読むのに何が良かろうかと考え、京都といえば、という安直な発想でこの『檸檬』を本の樹海の底から引っ張りだした。

読まれに読まれ、満身創痍の文庫本は、電車の中でページを繰るたびに悲鳴をあげる。
カサ、カサ、カサ。プツ。
完全に糊が硬化しめくるたびに糊の一部が粉状に欠け落ち、ついに20ページ目あたりでページが外れ落ちた。

ところで僕の仕事はカメラマンである。婚礼関係の仕事にもよく携わる。
婚礼の集合写真でよく見かける光景として、ひな壇のあちこちに黒い固形物がボロボロと散っていることがある。何かというと、粉砕された靴底なのである。
いつもは靴箱の奥底にしまいっぱなしの「いい靴」。何年ぶり、もしかしたら十年以上ぶりに出してきて親戚の結婚式に臨んだはいいが、そのしまいっぱなしの時期に加水分解が進んだ靴底のウレタン部分が、耐え切れず式場で粉砕されるのである。
ひどいときはカカトごとごっそり外れて粉々になっていることもある。普段からよく履かれて弾性を保持している靴だとなかなか起こらないのだが、しまい込まれがちな「いい靴」特有の悲劇である。
彼らは帰り道、どうするのだろう。

話を戻す。

本の背に使われる糊も、ウレタンと似た性質があるのだろうか。
いったんページが外れると、はらり、はらりと続けて落ちだした。そして終点に着いたとき、とうとう本は真っ二つに割れてしまった。
こうなったら仕方はないのである。読み終わった前半部分を駅のゴミ箱に捨て、かろうじて綴じられている状態を保っている後半部分だけをそっとカバンにしまった。
後半は帰りの電車で読まなければならないからである。

本を「半分だけ持って」歩く、という経験は、後にも先にもそれだけである。

(シミルボン 2016.9)

『檸檬』
梶井基次郎
角川文庫


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