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ex-centricite(中心離脱)の力学

『行人』
夏目漱石
新潮文庫


大正初年の小説とは到底思えないなぁ。
読んで、僕はなぜか大きな円周を、細いタコ糸一本で中心につながれて回されているような、不思議な不安感を抱いた。この遠心力を支えるのは、人間誰でも一本きりのタコ糸で、何がきっかけで糸が切れるかわからない。自ら糸から手を放す人もいるだろう。糸から離れた者は、ゆっくりとこの円周から離脱していく。円の上にしがみついている者は、遠ざかっていく者に何もなすすべもない。 
こんなイメージが頭に浮かんだのだが、これは、松浦寿輝がグレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』の演奏を評した文章の中に「あれは言葉の真の意味でのex-centricite(中心離脱)の力学に貫かれた奇蹟的な演奏だ」(『WAVE 16』ペヨトル工房)という文章があって、グールドのあの驚異のレコードを見事に解説した文章だと思った。その中心離脱という言葉が妙に頭について離れない時期に、たまたま『行人』を読んだからかもしれない。 
グールドはあの演奏で、大きな円周の上を、ギリギリの緊張力で駆け抜けていく。絶妙のコントロールと、ときどき呻くように現れる離脱への危機。最後のコーダ、装飾音を省いた最後の音を残して、グールドは静かに円弧の外へ遠ざかっていく。
それと同様のイメージが、変な先入観かもしれないが、この『行人』にもつきまとう。この人は糸を放そうとしている。行ってしまう。 最後は一郎(この作品執筆当時の夏目漱石本人がモデルだという)は、友人Hとの旅行で、わずかづつ慰謝されていくように思えるけれども、Hも言う通り、この旅行の十日間が終った後も彼の「針金の様に際どい線を渡」る生活は続いていくのであり、その針金の円周から離脱していかないという保証は何処にもないのだ。いや、きっと彼は手を放してしまうだろうという暗い予感で小説は終る。
ちなみに辞書で「行人」を引いてみる。 こうじん 【行人】  <1>道を行く人。<2>旅人。 そのまんまやな。 
この『行人』は、読み終えてみればようやくタイトルの意味がわかる。文字通り、行ってしまう人なのだな。

(シミルボン 2016.9)

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