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井上先生


以前にも何かの折に書いたけれど、僕は大学を2年で中退している。
正確にはとりあえず休学にして正式に学籍を抜いたのはその2年後なのだが、まぁ実質2年。勝手に入って勝手にやめた大学の悪口を書くのも品の良い話ではないから理由はくだくだ書かないが、とにかく「合わなかった」。
だからほとんど講義には出なかったし、学校に行っても大学図書館にこもっているか、学生食堂で煙草を吸っているか。

そんな短い僕の大学生活だったが唯一「社会思想」という講義だけは無欠席で通った。講師は井上和雄先生という、僕の通っていた某O大の教員ではなく、神戸商船大学の経済学教授だった方だが、なぜか週1回、O大で社会思想の講義を持っていた。経済学の教授がなぜ社会思想の講義なのかも面白いが、アダム・スミスに関する著作があるので、そのあたりのオーバーラップする分野が本来の専門のようだった。

この井上先生の講義は面白かった。古代ギリシアから始まってソクラテスからアダム・スミスまで、社会思想通史のような内容なのだけれど、雑談半分みたいな感じの、その雑談部分が、こんなことを言うと失礼かも知れないが「性(しょう)にあった」のだ。別に百人が押し寄せる人気講義というわけでもなく、受講者も十数人で、僕のように「毎週楽しみにしている」という風な人も他には見受けられない気がしたけれど、少なくとも僕にはめっぽう面白かった。
講義の内容ももちろん、雑談部分の語り口とか、人柄的な部分に惹かれて毎週楽しみに通った。

井上先生は上記アダム・スミスに関する著作や、後年ヘーゲルに関する本も書いておられるようだが、実はそういう専門分野の外でけっこう有名な人なのだ。
ブタペスト・カルテットをもじったブタコレラ・カルテットというアマチュアの弦楽四重奏団で演奏活動を長くやっておられて、『モーツァルト心の軌跡』(音楽之友社)という著作でサントリー学芸賞を受賞している。その後『ベートーヴェン闘いの軌跡』『ハイドンロマンの軌跡』と三部作になる「弦楽四重奏が語るその生涯」シリーズの、ちょうど二冊目のベートーヴェン篇が 出るか出ないかあたりの時期に講義を受けていたので、社会思想史の講義の合間に出てくるモーツァルトやベートーヴェン関連の話が興味深かった。ちょうどク ラシックをよく聴いていたころでもあったし。

テスト替わりの小論文で、テーマが「プラトン『ソクラテスの弁明』を読んで、ソクラテスはア テネ市民に何を訴えたかったのかを考えなさい」というものだったので、その頃よく読んでいたシモーヌ・ヴェイユだとか田川建三だとかを引き合いに出して、 かなり真剣に文章を書いて提出したら、講義で名指しで激賞してくださった。
どこかにその時の文章をしまってないかと探したが、まぎれてしまってわからない。何書いたんだっけか。出てこないかなぁ。
結局翌年もその同じ講義に出続けた。
2年目の最初の講義で、しゃあしゃあと前列に座っている僕を見て、
「あれ? 鎌内君、去年単位あげたでしょ」
「はい。聴いちゃいけませんか?」
「別にいいけど、これに出たからってもう単位はあげられないよ」
「わかってますよ。邪魔しないように聴いてます」
「まぁご自由に(笑)」

・・・・・・結局、その年を最後に学校をやめたので先生ともそれっきりだったが、数年後、大阪いずみホールでアルバン・ベルクだったか、弦楽四重奏団の来日公演を聴きに行ったとき、ロビーでばったり先生と再会した。
大学をやめたと告げると、先生は大笑いをして「大学の教師をやってる僕が言うのも何だけど、大学の教員と自動車教習所の教官にはロクな人間がいないんだ。あんなとこから何も学ばなくていいよ。ははは、やめたのか。まぁいいんじゃないかな。勉強くらいどこでもできるし」
以来、年賀状のやりとりしかないけれど、お元気だろうか。あれから二十数年たつので先生も七十代なかばのはず。たまたま『ロンドン音楽紀行 』(神戸新聞総合出版センター)という井上先生の著作(20年くらい前の本だけど)を最近見つけて買ったので、なつかしく当時のことを思い出したのでした。

(シミルボン 2016.9)

→井上和雄


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